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八夜 火鴉(かう)の禍矢(まがつや)
八夜 火鴉の禍矢 7
しおりを挟むハッ、として目を醒ますと、そこは、いつもと変わらないベッドの上であった。
体中に、冷たい汗が、吹き出している。
「……何だったんだ、今の夢は?」
炎は、あまりにもはっきりとしたその夢に、恐ろしささえ感じて、呟きを落とした。
夢の中の幼子が感じた痛みと哀しみが、たった今経験したことのように、熱く胸に残っている。まるで、自分がその幼子であったかのように。
それとも本当に、あの幼子は、炎自身であったというのだろうか。
「馬鹿な……。《火鴉の禍矢》のことを考えていたから、あんな夢を見ただけだ」
炎は、過った思いを打ち消して、長い黒髪を掻き上げた。
しかし、体に滲んでいる汗は、偽りのない、本物である。汗など滅多にかかない、というのに、たかが夢に、これほどの汗をかいているのだ。
外は、そろそろ陽が暮れようとしている。
鴉が塒へ戻り、一族が――『夜の一族』が動き出す時間である。――そう。火鴉と『夜の一族』は、本来、相反する存在なのだ。そのために、未だ誰一人として、《火鴉の禍矢》を操れた者は、いない。あの黒帝でさえ、その矢を試さず、捨て置いているのだ。
「俺は……」
カタ、っと窓の方で、音がした。
炎は、ハッとして顔を持ち上げた。
「黄……」
窓から姿を見せたのは、新月の精霊のような少年であった。
しかも、血塗れである。
「その格好は……」
炎は、呆然としながら、声をかけた。
「嫦娥を殺して来たんだ」
黄は言った。
「嫦娥様を……? な――っ。馬鹿な! 嫦娥様は《火鴉の禍矢》を守り続けて来た仙境の一族の姫君だぞ! 黒帝様の寵愛を受けた――」
「そんなにぼくが心配かい、炎?」
「――」
胸をつかれるような、言葉だった。
「ぼくは、君や黒帝が案じていた通りの危険分子なんだよ。それなのに、向こうが動いてくれないから、こっちから動いてやったのさ」
一体、何を考えている、というのだろうか、この少年は。
「……で、何故、俺のところに来た? 俺がおまえを匿ってやる、と思っている訳ではないだろう?」
炎は訊いた。
「ぼくを殺して、黒帝の前に突き出すかい? 黒帝の女を寝取って、殺した罪人として」
「……」
寝取って――彼は、最初から、この機会を狙っていた、というのだろうか。
しかし、何のために――。
「ぼくは逃げる。君は黒帝に取り入っていればいい」
そう言って、黄は、窓の外へと翻って行った。
「待てっ、黄――!」
バサ、っと漆黒の翼が、閃いた。蝙蝠のような、夜を翔るに相応しい、翼である。それが、黄の背中を、飾っている。
黄昏の空に、それは、鮮やかな姿で、閃いていた。
炎に、追いかけることは、出来なかった。もとより、その翼は、一族の中でも、持っている者はごく稀で、炎の背中には生えていないのだ。
体質が違う、とでも言えばいいのだろうか。数の少ない一族であるために、他種族の血が混じっていたりして、色々なタイプの子供が生まれて来るのだ。
もちろん、炎は、黄の生まれなど知りはしないし、黄も、炎の生まれなど知りはしないだろうが。
「……本気で黒帝様を敵に回すというのか、黄?」
炎は、黄昏に消え行く黒い影を見つめながら、呟きを、落とした。
手のひらには、爪がきつく食い込んでいる。怒りのため、というよりも、恐ろしさのためであったかも、知れない。
今まで、黒帝に逆らう者など、ただの一人として、いなかったのだ。黒帝の力は、あまりにも強大で、適う者などいなかったのだから。
そして、それは、『特別』と言われる炎や黄でも、同じことである。一族の中では、ズバ抜けた能力を有していようと、今はまだ、取るに足らない子供に過ぎないのだ。黒帝には、指一本触れることも適わないほどに。
だが――。
だが、炎が『恐ろし』」と思ったのは、その黒帝の方では、なかった。そして、炎の心は、すでに一つに定まっていた。
「……いいだろう、黄。おまえの言う通り、俺は黒帝に取り入ってやる。そして、必ず《火鴉の禍矢》を手に入れてみせる……」
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