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八夜 火鴉(かう)の禍矢(まがつや)
八夜 火鴉の禍矢 1
しおりを挟むその少年は、何をしているのだろうか。
夜に浮かぶ幻想的な銀色の月を、眺めるでもなく、新芽をうぶかせる春の樹木を、慈しむでもなく。
いつも、その少年は、そうなのだ。何をしているのか、何をしようとしているのか、解らない。
美しく、玲瓏な、少年である。
年の頃は、まだ十六、七歳であろうか。
さらさらと目元にかかる漆黒の髪も、夜よりも暗い射干玉の瞳も、彼を新月の精霊のように、際立てている。
柔らかい色合いの春の衣が、まだ華奢な四肢を神秘的に彩り、人ではない存在感を形成している。――そう。人が持ち得る造形ではないのだ、その美しさは。
透明すぎて、完璧すぎて。
彼の美しさを描写するだけで、詩人は発狂してしまうことだろう。
その少年の背後に、もう一人、二十歳前後の――こちらも、人とは思えぬ美しさの少年が、立った。
長い黒髪を肩から編み、無造作に胸へと垂らしている。
無造作でも、それは、限りなく美しい姿、であった。
鷹の如き鋭い黒瞳も、しなやかに鍛えられた体躯も、野生の肉食獣を見るように、繊細に、優美に、整っている。
「人間狩りに行かないのか、黄?」
鷹の如き少年は、何をするでもなく佇んでいる新月の精霊のような少年に、優しくもない、声を、かけた。
恐ろしいばかりの問いかけではあるが、それが、彼らの一族の日常なのだ。
人間は――いや、人間の血は、彼らの大切な糧なのである。
吸血鬼――のちの人々は――どれくらいのちかは判らないが――のちの人々は、彼らをそんな風に、呼ぶかも、知れない。美女の血を啜る、悍ましい悪鬼であると。
だが、彼らのことを、もっとよく知る者なら、彼らのことを、こう呼ぶだろう。
死に切れない不遇な人々、と――。
そう。彼らは、人間の血を吸う不死の化け物ではなく、絶え間ない喉の渇きに苦しめられながらも、死に切れない哀れな宿命を持つ一族、なのだ。
その喉の渇きは、血を吸っている時にのみ癒され、それ以外の時間は、恐ろしいほどの飢えと悪寒に苛まれる。
それが、彼らの宿命なのだ。
黄、と呼ばれた少年は、何も応えず、小高い丘の方へと、歩き始めた。
その丘の上には、壮麗を極める館が、聳えている。その館を中心に、一族の生活は築かれているのだ。
「止まれ、黄。でなければ、首が飛ぶぞ」
鷹の如き少年、炎は、振り返りもしない背中に、厳しく言った。
一族の中でも『特別』と言われる二人だが、決して、仲が良いとはいえないのだ。
黄が、ゆうるりと足を止めて、振り返った。
「……ぼくが好きなんだろ、炎? そのぼくの首が斬れるのかい?」
ハッ、とするほどに悩ましく、また、玲瓏極まりない言葉であった。
炎は、カッと頬を紅潮させ、
「だっ、誰が――っ」
「なら、首を落とせよ、炎。君は、ぼくよりずっと力が強いんだ、今は、まだ――。気に入らなければ、殺せばいい。それが楽に出来る内に」
静かなばかりの口調で、黄は言った。
彼は、いつもそうなのだ。だから、何を考えているのか、解らなくなる。そして、いつの間にか、その不思議な色香に、惹き寄せられる。本当に、殺してでも手に入れたくなるほどに。
炎は、ギュっ、とこぶしを握り締め、次の刹那、その指で、黄の細い首をつかみ取った。
「く――っ」
喉を圧迫するその力に、ほんの短い苦鳴が、上がった。
だが、黄は、それを振り払うでもなく、抗いもせずに、立っている。
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