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七夜 空桑(くうそう)の実

七夜 空桑の実 24

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「すぐに治ったって……痛いもんは痛いんだぞ……。三回も殴りやがって……」
 何しろ、父親にさえ、殴られたことのない少年である。もっとも、あの父親、暴力というものを使わなくても、とてつもなく恐ろしいのだが。
 黒帝が、床の上から、腹を抱えるようにして、立ち上がった。
 舜の氷気を喰らった、腹である。普通の人間なら、死して当然の技ではあるが、黒帝には、それもさして、効いてはいないのだ。もちろん、癒すことも出来ない氷気が全身を巡り、立っていることにさえ苦痛を感じる状態であろうが、致命傷では、ない。
「なるほど……。黄帝の子だ。杭でも喰らっていれば、終わり、だったな」
「あ……」
 舜は、その黒帝の言葉に、目を瞠った。
 動けなくなるほどの渾身の力を込めて氷気を放たなくとも、杭を放てば良かったのだ。
 これでは、炎帝が舜を殴りつけたくなるのも、当然である。一度ならず、二度までも、舜は杭を打ち損なっているのだ。
「この失敗……黄帝にも絶対、バレてるだろーな……」
 舜にとって、いついかなる時でも、一番、怖いのが、その父親なのである。
「さて、困った。傷が癒えぬ。先に喰らった炎帝の炎のこともあるし――。今、黄帝に来られては、この私といえど、易くは勝てまい」
 罅の入った甲冑を見ながら、黒帝が言った。
「この戦いの邪魔をするほど、無粋な男ではあるまい、黄帝は。そして、私は、おまえを黙って帰すつもりはない」
 炎帝の手のひらに、炎気が灯った。
 黙って帰してやれよ、と舜は言いたかったが、その前に、
「はったりはよせ。――いや、黄帝が来ぬのは本当だろうが、そなたにはもう、私と戦うほどの力も、残ってはいまい。黄帝の子にも」
 と、黒帝が言った。
「私が姿を変えるまで、一〇秒やろう。それまでに、黄帝の居場所を言うのだ、炎帝よ」
 黒帝の双眸が、赤光を放った。
 姿を変える――それは、どういう意味であったのだろうか。彼は、何に、変身すると――。
「知らぬな」
 炎帝が言った。
 それは、始まりを意味する言葉、でもあった。黒帝の変化の、始まり、を。
 黒帝の唇が、ニヤリ、と歪んだ。
 荒ぶる神の如き面貌が、霞むようにして、薄く消え行く――そう思った刹那、黒帝の体が、千々に砕けた。――いや、砕けたのでは、ない。
 変化したのだ。
 その白き無数の生物に。
 霧――人は、彼の姿を、そう呼ぶだろうか。幻想的な夜を飾る、凝結した水蒸気の芸術であると。
 彼は、その能力を持つ、種族、なのだ。黄帝が友人にしている、《朱珠の実》を作る『彼ら』と同じように。
 聞いたことは、ないだろうか。
 吸血鬼が、狼や蝙蝠、霧に変身できる、という話を。
「あ……」
 舜は、その変化を前に、凍りついた。人の姿を取っていても勝ち目がない、というのに、そんな姿を取られては、攻撃の方法も見つからない。
「これで終わりだ、炎帝よ」
 細かい霧と化した黒帝が、炎帝の体に、襲い掛かった。
 白き幻想を不気味に広げ、炎帝の体を、包み込む。恐ろしいほどのスピードと、影さえ見えない分厚さで。
「ぐあ……っ!」
 霧の中から、炎帝の苦鳴が、洩れ聞こえた。
 そして、見よ。霧が、瞬く間に赤く、染まり始めているではないか。
 血を吸っているのだ。その霧は、炎帝の血を、貪っている。
 そんな悍ましい光景を前に、舜は、必死に体を起こそうと、腕を立てた。もちろん、杭のことも思い出していたが、それを使おうにも、霧が相手では、どこに心臓があるのかも、判らない。
 それとも、炎帝になら判るのであろうか。




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