上 下
169 / 533
七夜 空桑(くうそう)の実

七夜 空桑の実 2

しおりを挟む

 その責め苦は、しばらく続き、やがて、舜の動きがわずかに変わると、黄帝が、週刊誌のページを、ゆうるりと、閉じた。
「さて、どうしますか、舜くん? 次は避けられませんよ」
 と、やっと、舜の方へと、視線を向けた。
 その口調も、血塗れの息子に対するものとは思えないほど、のんびりとしている。
「クソォ……っ。何で避けられないんだよ……っ」
 悔しそうな呟きだけが、零れ落ちた。
 舜は、立っていることもやっとの様子で、荒い呼吸を繰り返している。
「うーん……。どうしてでしょうねぇ。それが解るといいですねぇ」
 そんな惚けた言葉を残し、黄帝は、白い空間から、姿を消した。
 月のように玲瓏な容姿を持つ青年でありながら、よく解らない人物なのだ、彼は。
「舜――っ」
 デューイは、やっと終わった一週間の責め苦に、直ぐさま、舜の元へと駆け出した。
 何しろ、舜は、もう体内の血も、ほとんど残っていない状態であるはずなのだ。
「大丈夫か、舜!」
 と、その傍らで足を止める――はずだったのだが、もともと距離感が掴めないこともあり、加えて、床が血で濡れ染まっていたため、
「うわっ!」
 と、見事に滑って、転んでしまった。
「……こいつ、本当にバカかも知れない」
 一応、バークレーを卒業ファイナルしている良家の子息だというが……確かに、他人ひとの心配より、自分の心配をした方が良さそうな青年である。
「さあてと、オレもメシ食いに行こ」
 舜は、そのデューイを放って、白い空間を後にした……。




 ここは、中国の山奥である。
 簡単な言い方だが、その説明が、最も相応しい場所なのだ。
 家を一歩出れば、数十もの奇峰が雲海に突き出す山水画の世界であり、彼らの住居も、その奇峰の一つの最高峰に、内部を刳り貫く形で、造られている。
 どうして、そんなところに住居を造り得たのかは判らないが、住居の内部は、その容量を無視して、数え切れないほどの部屋で構成されている、というのだから、今更、そんなことを考えても、無駄であろう。
 とにかく、険しい岩山を上り、さらに断崖を上った人の通わぬ地に造られている、ということだけは、確かであった。
 そして、そんな幻想的な秘境に暮らしているせいか、ここの住人、少し――かなり、変わっている。一週間、不眠不休で動ける体力にしても、あれほどの傷と出血で生きていられる生命力にしても。
 舜は、自分は普通である、と言い張っているが、父親のことは、変人である、と信じて疑っていない。
 舜の言葉を借りると、あまりに長く生き過ぎたために、自分の人格も判らないほどにボケている、ということに、なる。
 まあ、それは、さっきの一場面でも、あながち嘘ではない、と察していただけただろう。
 月の神のように玲瓏な容姿をしている、というのに、どこまでも惚けた人物なのだ、彼は。
「あー、生き返った。――まだ死んでなかったけど」
 グラスに浮かぶ《朱珠の実》を一つ、口に含み、舜は、血塗れの格好のままで、椅子に凭れた。
 満腹感を表す格好である。
 ここは、さっきの白い空間ではなく、黒檀のテーブルを置く一室であり、床も壁も大理石だったりする。
 そして、舜が口にした《朱珠の実》とは、この山奥では唯一の食料であり、一粒食べれば、一週間は体力が保てる、という優れものでも、ある。
その実はいつも、黄帝が造ってくれるもので、高さ十八センチほどのクリスタル・グラスの中に入っている水に、黄帝が指を浸して輪を描くと、直系一.五センチほどの丸い実が、水の表面に浮かび上がって来る。液体のようでもあり、ブドウの皮を剥いたもののようでもあるその実は、世にも稀なるものであり、『一族』の中でも、黄帝だけが持っているものなのだ。
 そして、黄帝は、その実を作る水を『彼ら』と呼び、よき友人として、共存している。
『彼ら』は、水のような体質を持つ、同族なのだ。


しおりを挟む

処理中です...