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六夜 鵲(チュエ)の橋
六夜 鵲の橋 28
しおりを挟む――あんたを殺して、この世界を消滅させる。
それこそ、この二重構造の世界から抜け出す、唯一の方法なのだ。そして、結界が失くなり、空間が消滅すれば、牽牛と織女の間にも河はなくなり、攫われた少年たちも、元の世界へと帰りつける。
もちろん、天帝が心を入れ替えるのなら、それは必要のない方法なのだが。
「……幼きそなたには、解るまい。私が娘に与えてやったものは、永遠に続く愛なのだ」
「そんなこと、解るもんか! あんたは娘を持つ資格なんかない親なんだ――!」
舜は、斜めに構えた繊手を閃かせ、長き爪を、振り翳した。
ヒュン、と風を切る音を立て、鋭く伸びた美しい爪が、天帝の胸に、突き刺さる。
「あ……」
と、声を上げたのは、舜であった。
「な……何で避けないんだよ……? あんたの力なら、オレの攻撃を躱すなんて、訳もないことじゃないか……」
と、じっと突っ立ったままでいる天帝を見て、呆然と言う。
天帝の胸から流れる血は、舜の爪を伝って、その繊手を濡らしていた。
「……ならば、私も訊こう、幼き子よ。そなた、何故、私の心臓を狙わなかった?」
舜の爪は、天帝の心臓を、わずかに外れて突き立っているのだ。
「――。それは……」
「優しき子よ……。そなたには、荷が勝ちすぎるのだ。純粋で、一途で、ガラス細工のように、壊れやすい……。無論、黄帝なら、我が子をそのように育てるのは当然であろうが――。そうでなくては、正しき道など選べぬのだ」
「オレは、正誤を決めるために、ここに来たんじゃない! 自分の娘にあんなことをさせてるあんたを、殺しに来たんだ!」
舜は、天帝の胸に突き立てている爪を抜き、今度は、横一線に、走らせた。
天帝は、変わらずそこに、立っている。
また、彼は甘んじて、舜の爪を受ける、というのだろうか。舜のやろうとしていることこそ、正しき道であるのだ、と認めて。
ヒュン、と爪が、風を剱った。
だが――。
だが……。
「クソっ! オレ、また黄帝に馬鹿にされるじゃないか……! 悪いのはこいつのはずなんだ……。それなのに……何で、もっと悪者らしくしないんだよ……」
舜は、天帝の首、数ミリのところで止まっている爪を見据え、キュ、っと唇を噛み締めた。
「……生ける者は、時の流れの中で、変わって行く。中でも、愛というものは、あっと言う間に形を変える。時には、憎悪に。時には、慣れに――。私は、娘の愛を変えたくはなかったのだ」
ロマンティスト――黄帝は、デューイに、天帝のことをそう語らなかっただろうか。
慣れて消えてしまう愛よりも――形を変えて憎悪となってしまう愛よりも、永遠に変わらない愛を求めるロマンティストであるのだと。
逢えなければ、逢えない分だけ、思いが募る。
愛は、慣れにも、憎悪にも、形を変えない。
その形を変えない愛を、娘に与えてやろうとした彼は、確かに壮大なロマンティストなのだ。
「そんなもの……。そんなこと、間違ってる……」
舜は言った。
「ああ、解っている、幼き子よ。そなたは、私のような間違いを犯してはならぬのだ。変わらないものを求めることは、愚かなことでしかあり得ないのだから」
「違う! 愚かだとは思わないけど――。変わらないものがあればいいと思うけど、それは、無理に創っちゃいけないんだ。たとえ形は変わっても、また新しいものが生まれるのなら、それでいいんだ……」
変わらないものを求めるのは、空しく、哀しい。
世の中、あっと言う間に変わってしまうから、余計に――。
「……優しい子だ。この私を弁護してくれるというのか。――ならば、そなたを、この変わらぬ世界に閉じ込めておく訳には行かぬ。これからの時を生きて行かねばならない、幼き心を」
天帝が、紺黒の空間をつかむように、片手を翳した。
天空を統べる帝王の、美しく輝かしい姿である。
柔らかく流れる髪が、緩やかに舞い、空間に風が流れ込んだ。
舜は、ハッ、として顔を持ち上げた。
「待てよ! オレは自分でここから抜け出すんだっ。オレがここへ来た目的は、あんたを――」
ザワ、っと風が、音を立てた。
空間が歪み、河が彼方の方向へと、流れ出す。
刹那、紺黒の空間に、亀裂が入った。
空が裂け、ひび割れるように、光を刻む。
その中、舜は、紺黒の空間の裂け目から、大きな鳥の羽根が覗いているのを、目に止めた。
その後は、どうなったのか、解らなかった……。
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