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五夜 木乃伊(ミイラ)の洞窟(ペチェル)

五夜 木乃伊の洞窟 31

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「リ、リジア……」
「大丈夫よ。この魔法陣は――」
「強い奴なんて、どこにもいないんだ! オレだって、いつ殺されてもおかしくないほどに弱いんだ――!」
 パァ、っと激しい気が、炸裂した。
 魔法陣の中で膨れ上がった蒼い気が、いにしえの力を破って、外へと広がる。
「キャアア――!」
「リジア――」
 二人の声に混じって、人狼の――偉大なる大魔術師、トファルドフスキの、遠吠えにも似た叫びが、遠く聞こえた。
 人の声のようでもあったし、獣の声のようでも、あった。或いは、そんな声など響いていなかったかも、知れない。
 壁が崩れ、土が割れ、床も亀裂と共に、大きく震える。
 重い石の天井が、二人の――リジアとイリアの頭上に、降りかかった。
 ヒュン、と高い音が、風を剱った。
「……オレ、やっぱり、後継者候補から外れるよな」
 二人の頭上に爪を翳し、落下する天井から身を守ってやってしまった成り行きに、舜は、ポツリ、と呟いた。
「――デューイ、立てなきゃ、おぶって行くけど」
「いや……大丈夫だ」
「なら、こっちの二人を担ぐとするかな」
 まだ十三、四歳の少女と少年、なのだ。いくらでもやり直せる、と思うのは、舜だけなのだろうか。
 多分、それでも、構わない。こうして、彼らが悪魔を呼び出す前に、止めてやることが出来たのだから。
 そして、彼らも、人狼として蘇った、トファルドフスキの言葉を――哀しみを聞いたはずなのだから。
 二人を担いで、地上への階段を上る中、舜は、そんなことを考えていた……。




 黄帝は、相変わらずののんびりとした姿で、部屋に、いた。
「申し訳ございませぬ、黄帝殿――。私は、孫たちが何をしようとしているのかを知りながら、黙って……」
 トファルドフスキが、城を揺るがせる大きな地鳴りに、全てを察したように、こうべを垂れた。
 彼もまた、孫たちを咎めることが出来なかった、弱者なのだ。
「どうぞ、殺してくださいませ。私はそのために、あなた様をここへお招きしたのですから……」
 黄帝に殺してもらうために――恐らく、孫ともども――そう語るトファルドフスキの面は、哀しい心に満ちていた。
 黄帝は、ただ静かにその話を聞いていた。
「我らには、もう誇るべきものが何も――」
「そう急がれることもないでしょう、ガスパシン.トファルドフスキ」
 黄帝は言った。
「ですが、私は、あなたのご子息の身まで危険に――」
「実を言うと、舜くんは、このお見合いを結構、楽しみにしていたのですよ。もちろん、私の前では、そんな素振りは一つも見せはしませんでしたが」
「は……。申し訳ございま――」
「舜くんは、まだ本当に未熟な子供ですが、今のところ、私の唯一の後継者候補です。それに、我が一族にとっても、大魔術師トファルドフスキの血は、興味深いものですから。今回の話を、フイにしないでいただきたいのですよ」
「……黄帝殿?」
「さて、私は少し散歩でもして来ます。ロシアに来るのは久しぶりですから」
 黄帝は、そう言ってのんびりと立ち上がり、冴え冴えとした月明かりの中へと、歩いて行った……。



               了



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