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五夜 木乃伊(ミイラ)の洞窟(ペチェル)

五夜 木乃伊の洞窟 6

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 そんな訳で、舜が、来るんじゃなかった、と思いながら過ごしていた時、コンコン、とドアにノックが届いた。
「どーぞ」
 と、投げやりな口調で、受け応える。
 部屋へと姿を見せたのは、十三、四歳の金髪の、きれいな顔立ちの男の子であった。碧い瞳も、白い肌も、病的なほどの透明感に、彩られている。――いや、そう思ったのは、見間違いであっただろうか。気性の激しそうな面貌は、少しも病的な印象を、与えない。
「君が、中国から来た、舜?」
 年下の少年に、君、と呼ばれるのも、なんとなく腹が立ったが、言い返すのも大人気ないので、
「君は?」
 と、舜は、目一杯、無愛想に、問い返した。
 やはり、大人気ない。
「ぼくは、イリア・トファルドフスキ」
 少年は言った。
「トファルドフスキ……? じゃあ、君が――」
「名前を聞いても、まだ解らないのかい? 中国人は、やっぱり馬鹿だな」
 ここで怒らない人間がいるだろうか。いくら、年下の子供の言葉とはいえ――。
「誰が――」
 と、舜は言いかけたが、
「出て行け」
 キッ、と碧い瞳を細めて、イリアは言った。
「え……?」
「すぐにここから出て行け。命が惜しかったら、な」
 と、叩きつけるようにドアを閉め、足音すら立てずに、廊下の向こうへと姿を消す。
「何なんだよ、あれ……」
 舜は突然のことに、茫とその場に突っ立っていた。――が、やがてそのことに、ハタと気づき、
「あーっ! あいつ、男じゃないかっ。何が見合いだよ! オレ、男と見合いするためにロシアまで来た訳じゃないんだぞ!」
 と、その怒りに暴れ回り、すぐさま黄帝の部屋へと急行する。
 バタン、とドアを壊すほどの勢いで、部屋へと入り、
「よくもオレを騙したなっ、黄帝! 見合いなんて嘘っぱちじゃないか! 本当の手紙には何て書いてあったんだよっ」
 と、目の前の青年に、食らいつく。
 だが、その青年、慌てないのである。
「あのですね、舜くん。部屋に入る時は、ノックを――」
 ゴンっ、ゴンっ、と舜は、思いっきりドアを叩き――いや、思いっきり叩くと壊れてしまうので、少しは手加減をし、
「これでいいですかっ、おとーさまっ!」
 と、こちらは思いっきり不機嫌に、怒鳴りつけた。――いや、問いかけた。
 騙された恨みは――特に女の子に関しての恨みは、恐ろしいのである。
 黄帝は、はぁ、と大きく溜め息をつき、
「本当にそれでいい、と思っている訳ではないでしょう、舜くん?」
 と、優しいままの面貌で、言った。
「――。そんなことは……」
「そんなことは――何ですか?」
 惚けた口調でありながら、この青年、とてつもなく恐ろしいのである。
 舜が世界で一番嫌いなのはこの父親だが、世界で一番怖いものも、この父親なのである。
「そんなことは、解ってるけど……。でも、今日は、あんたの方が――お父様の方が悪いんだ。ぼくを騙して、ロシアまで連れて来て――。絶対、何か企んでるはずなんだ」
 舜は――まあ、子供にはありがちな、自分を正当化する手段として、相手の非を持ち出した。
 もちろん、黄帝が本気で怒る前に、言葉遣いも、正している。
「騙した、ですか」
「そーじゃないか! オレは――ぼくは、この目ではっきり見たんだ。トファルドフスキの孫っていうのは、男じゃないかっ」
「おや、そうなのですか?」
 黄帝は言った。
 本心から驚いているような口ぶりではあるが、信憑性は、ない。
 何しろ、その青年、惚けることに関しては、超一級なのだ。


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