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五夜 木乃伊(ミイラ)の洞窟(ペチェル)
五夜 木乃伊の洞窟 1
しおりを挟むまた酷い揺れが、襲った。
手のひらに、ぶわっ、と汗が滲み出し、心臓が破れそうなほどに、早鐘を打つ。顔はもう蒼白である。――いや、これは、いつものことである。もともと顔色のいい《一族》ではないのだ。
しかし、普段なら、汗はかかない。余程のことがなければかかない、と言ってもいい。
今が、その余程の時なのだ。――と、言ってしまうと、何かとんでもないことが起こっているのではないか、と思われてしまうかも知れないが――まあ、彼に取っては、何よりも恐ろしいことが起こっているのだから、それもあながち嘘ではないだろう。
ここは、ロシアへと向かう飛行機の機内である。
そして、今、顔面を蒼白にし、何度となく胸に十字を切りそうな形相で汗をかいているのは、デューイ・マクレー、というアメリカ人青年であった。
今は、事情があって、アメリカではなく中国に住んでいる。
四分の一アジアの血が混じっている、というその面貌は、結構、秀麗に彫りが深く整い、人の善さそうな性格を映し出している。
ウェーブのかかった栗色の髪を肩まで伸ばし、琥珀色の瞳には涙を溜めていたりする。
二五、六歳、というその年齢にしては、ちょっと、情けなさそうな青年である。
まあ、人にはそれぞれ苦手なものがあるのだから、ここで彼を『情けない男』呼ばわりしては、少し可哀想かも知れない。
「大丈夫ですか、デューイさん? 眠っていた方が楽ですよ」
隣の席から彼にそう言って声をかけたのは、そののんびりとした口調からは想像もつかない容姿の――誰もが恍惚となる美しさを備える、青年であった。
二七、八歳であろうか。――いや、彼の本当の年など解りはしない。この世が天と地に分かたれた太初から存在していた、と言われても不思議ではない、そんな特別な雰囲気を纏う青年なのだ。
そのあまりもの美貌のために、そう思うのかも、知れない。
彼の姿を見た者は、まず最初に月の神の姿を想像するだろう。月の光のような長き銀髪も、真の闇夜のような漆黒の瞳も、その玲瓏な面貌に、相応しい。
人間であるとは、思えない、のだ。
いつもは背に零しているだけの長い銀髪も、今日は三つ編みにして一つに束ね、珍しいことに、ピシっ、と三揃えなどを着こなしている。
いつもは、いつの時代のものなのかも解らない、長い衣を纏っているのだが……何を着ても美しすぎる青年である。
「申し訳ありませんねぇ、デューイさん。あなたが飛行機が苦手だと解っていれば、空路は取らなかったのですが」
また、のんびりとした口調で言って、眉を落とす。
誰もが腰を抜かしてしまうような麗容であるというのに、この青年、人格が伴っていないのである。
「い、いえっ、とんでもありません、黄帝様! ぼくは大丈夫ですから――っ」
デューイは、その青年――黄帝に気を遣わせまいとするかのように、シャキっとした――のはいいのだが、また飛行機が、ガクンと揺れ、
「ひっ」
と、情けない声を上げてしまった。
ここで、頭を抱えたり、『降ろしてください!』と叫んだりしないのは、隣にいる玲瓏な青年のためである。その青年を崇拝し、神にも等しい存在として崇めているために、迷惑をかけるようなことは出来ないのだ。
そも、その黄帝という青年とは――。
中国の山奥で、デューイがその青年と、彼の息子と三人で暮らし始めてから、もう一年にもなるが、まだその全容は掴めていない。――いや、全容どころか、その片鱗さえも。
まあ、そもそも、一年やそこらで底が知れてしまうほど、浅い人間ではないのだが。――人間、なのだろうか。
「あ、あの、黄帝様……」
「はい、何ですか、デューイさん」
やはり、イメージが壊れるから、喋らないでもらいたい。
しかし、デューイの方は、もうそれに慣れてしまっているようで、
「舜は……彼は、大丈夫でしょうか? 彼は、飛行機に乗るのも初めてで、席が離れてるから、一人で怖がってるんじゃ……」
ここで、デューイが言う『舜』とは、その美しい青年、黄帝の息子のことである。
今日は三人揃って国外脱出――ではなく、ロシアへ行くことになっているのである。
「ああ、そういえば、舜くんも一緒に乗っていたのでしたね。姿が見えないから、忘れていました」
酷い父親もいたものである。
だが、まさか本気で言っている訳では……いや、この青年に限っては、本気で言っているのである。
もちろん、黄帝に心酔しまくっているデューイは、軽い冗談であると信じていたが。
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