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四夜 燭陰(しょくいん)の玉(ぎょく)
四夜 燭陰の玉 10
しおりを挟む「ん……暑い……」
汗だくで寝返りを打ちながら、厚い冬着を毟り取り、樹誠は、まだ寝足りない思いで、瞳を開いた。
とにかく、ムシムシと暑くて、たまらないのだ。
今は冬の季であるはずなのに、突然、夏の最中に放り出されたような。
薄暗い中、視界がはっきりとして来ると、
「え……?」
樹誠は、見覚えのない部屋の造りに、呆然とした。
自分が何故、こんなところにいるのかも、解らなかった。
無得の王宮のように、光沢を持つ石の壁に取り囲まれる部屋である。裕福な商人でも、これほどの立派な屋敷は持てないだろう、と思わせる。
部屋の広さも、天井の高さも、何もかもが、アジアの庶民階級から、掛け離れていたのだ。
「……ここは?」
樹誠は、その豪華な部屋をぐるりと見渡し、地面の柔らかさに、
「わっ!」
と驚いて、声を上げた。
だが、それは地面ではなく、不思議なほどにふわふわとした、贅沢極まりない寝台の上であった。
「気がついたか」
その声は、何の前触れもなく、耳に届いた。
また声を上げそうになったが、声を上げるには、あまりにも静かで、玲瓏な響きを持つ声であったため、実際には、声を上げることは、出来なかった。
聞いただけで恍惚となるような、そんな響きの声であったのだ。
「……黄帝様?」
何故、そんな名前がすぐに出て来たのかも、樹誠には解らないことであった。
だが、それを不思議とも思っていなかった。
「京仔と似た響きの波長で、誰が私を呼んだのかと思ったが……。運が良いのか悪いのか、判らぬ子だ」
月のように麗しい青年、黄帝が言った。
「あ、あの、多分、運が良いんだと――。何か、怖い目にあったような気もするけど、助かったみたいだから――」
そこまで言い、樹誠は、ハタとそのことを思い出して、言葉を切った。
「明如は――。明如はどこに? あ、あの、明如っていうのは、ぼくの姉の子で、ぼくと京仔は双子で、その上に姉がいて、その姉の子だから、ぼくには甥にあたる子で、黄帝様を呼んだのも、その子で――」
もう何を言っているのか、解らない。目の前にいる美しい青年と、一度に色々なことを考えようとした頭のために、パニックに陥ってしまったのかも、知れない。
「騒がず、寝かせておいてやるがいい。おまえの隣にいる」
「へ……?」
樹誠は、その言葉のままに、大きな寝台の隣へと、視線を向けた。
灯台もと暗し、というか、明如は確かにそこで、汗をかきながら、眠っていた。
冬着を着て寝ているために、暑いのだ。樹誠と同じである。
樹誠は、暑苦しそうなその服を脱がせてやり、
「あの、ありがとうございました、黄帝様」
と、やっと落ち着いた状況で、礼を言った。
もちろん、目の前の青年の美しさには、まだ恍惚となっていたが。
何故、助かったのか――何が起こったのか、という疑問も、ここが何処なのか、という疑問も、その青年の美貌の前には、無力であった。
人が見てはいけない美を見てしまったために、頭の中が、少し馬鹿になっていたのかも、知れない。――いや、もともとの性格のせいかも知れないが。
「あの、京仔より美人ですね……」
と、そんなとんでもない言葉まで、持ち出していた。
もちろん、すぐに気づいて、
「あ、あの、そんな意味じゃ――」
どんな意味か、解らない。第一、黄帝は何も言ってはいない。
「あの、ぼくは、その――ぼくと京仔は双子だけど、似ていなくて、それで、京仔が一番きれいだと思ってたから……っ」
もう顔は、真っ赤である。
これは、暑さのせいでは、ない。
それでも、
「あの、暑いですね」
と、取り繕うように、顔を仰ぐ。
何しろ、神と逢うなど初めてのことで、どんな話をしていいのかも、解らなかったのだ。
「岩漿のせいだろう」
黄帝が言った。
「がんしょー……?」
「火の川だ。ここは結界の中だが、その結界の創り主が火を好むだけに、ここも熱を拒まない」
「はぁ……」
全く解らない話である。
だが、どこかでそんな話を聞いたことがあるような気も、していた。
火の川に棲む、伝説の神の話を――。
「あの、ここの結界を創った人って、龍ですか?」
樹誠は訊いた。
「……」
「えーと、ぼく、荷を持って、いろいろな町を通るから――山越えは山賊が出て危ないから、町や川を通ることにしているんですけど――それで、火の川に棲む龍の話を、どこかで聞いたような気がして。その龍は、太陽を司る玉を抱いて眠ってる、って」
「……ほう」
黄帝の表情が、わずかに変わった。
それだけで、樹誠は嬉しくなった。
だから、その嬉しさのままに、そんな旅の話をし続けてしまったのだ。――そう。樹誠は、確かに自分の意志で、話をしていた。
その証拠に、月の神のように玲瓏な青年は、ただの一度も、問い返したりはしなかったのだから……。
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