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四夜 燭陰(しょくいん)の玉(ぎょく)

四夜 燭陰の玉 5

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 そこには、麗しき面貌の青年が、黄金で造られた、船のような形の浴槽に浸り、朱色の雫を、纏わせて、いた。
 凄まじい威圧感と、妖気を放つ、麗人である。
 針のような黒髪を顎の下で切り揃え、炎の如き冷酷さを、その黒瞳に映している。
 年の頃をいうなら、三十歳前後であろうか。
 こちらの方も、実際の年齢は、判らない。
 そして今、その空間には、凄まじい血臭が漂っていた。
 黄金の湯船の中から漂う、匂い、である。
 その麗人の肌を濡らしている赤い雫も、その浴槽に満たされている血、であった。
 それだけの大きさの浴槽を血で満たそうと思えば、何十人――或いは、何百人もの人間の血が必要であっただろう。
「随分、暇を持て余しているようではないか、炎帝よ」
 血臭の満ちる空間に足を入れながら、黄帝は言った。
「何の。ここまで人間を運ばせ、途中で熱き川に堕ちる者たちの姿を眺めるのは、愉しかったさ。――すぐに飽きてしまったが、な」
「……」
「私には、おまえのように、女を抱く趣味も、子をはらませる趣味もない。――第一、我らの一族を増やしてどうする? 人間のように、愚かな権力争いでもさせるか? 我々らは、人間の血を糧とするが、決して、その人間を一族に加えてやりはしない。その考えだけは、一致して来たはずだ。一族には、私とおまえと、数人の手足がいればそれでいい、と」
 手のひらにすくった血を舐めながら、炎帝は言った。
「……支配者は、二人も要らぬと思うが」
「その通りだ。一族の支配者は、この私だ。そして、おまえのような危険な存在も、いなくてはならない。互いの暴走を食い止めるためにも、な」
 優れた一族であるためには、独裁、などという、歯止めの効かない形態を造ってはならないのだ。
「覚えておこう」
 黄帝は言った。
「来るがよい、黄帝よ」
 血の滴る右手を持ち上げ、炎帝が言った。
 黄帝は、その手のままに足を進め、湯船の脇に身を置いた。
 大きな湯船は、黄帝の肩とほぼ同じくらいのところに、へりがある。
 炎帝を見上げる位置である。
 炎帝の指が、側に来た黄帝の顎を高く持ち上げ、その唇を血でなぞった。
 白く美しい唇が、紅を引いたように、血の色を帯びて、朱く染まる。
「女は、この唇を愛するか、黄帝よ」
「……」
「女より血の方が甘美であろうに。そして、私の方が」
 唇についた血を舐め取るように、炎帝は、自らの唇を重ね合わせた。
 この二人の麗人の口づけの、何と狂おしいことであろう。
 このような光景を、普通の人間が前にしたとすれば、美しさのあまり、発狂してしまったに、違いない。
「この世で一番、危険で、賢い者は、口を開かず、目と耳だけを開いている者だ。黄帝よ、おまえのように」
「その言葉、忘れずにおいた方がいい」
「そうしよう」
 冷酷な唇が、愉しげに、歪んだ。
 そして、二人の前には、一枚の地図が開いていた。――いや、それを一枚、と呼ぶのだろうか。
 地図は、炎帝が指先で弾いた血の珠により、黒曜石の壁を背に、空間に記されたものであった。
「海底火山か」
 地図に分布する数多の朱点を見て、黄帝は言った。
「そうだ。燭陰は、我々が探していた亜細亜アジアの鐘山ではなく、火山の中に棲んでいたのだ。恐らく、《燭陰の玉》も、そこにある」
「人間にも、我々にも行けぬ場所だ。海流の中での数時間は、我が一族にはそぐわぬ。もちろん、人間など役にも立たぬ」
「我が力を忘れたか、黄帝よ」
 炎帝は言った。
「……この火山を全て噴火させて回る、か。――無得は滅びるな」
「大陸の一つや二つ、消えたところで構いはせぬ」
 冷酷な炎の使い手、炎帝――彼は、全ての炎を支配下に置き、自在に操ることが出来る、というのか。


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