華夏帝王奇譚 §チャイニーズ・バンパイア・ファンタジー§

竹比古

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三夜 煬帝(ようだい)の柩

三夜 煬帝の柩 1

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 その青年の手には、凄まじい血臭を放つ、古ぼけた盃が乗っていた。塗りが剥げ、ところどころに縁が欠け、三五〇年の星霜を、その身をもって、示している。
 それは、《聚首歓宴しゅうしゅかんえんの盃》と呼ばれる、人の血を吸う盃であった。
 今からおよそ三五〇年前、明末の『流賊りゅうぞく張献忠ちょうけんちゅうが、生首に酌をして回った、と云われている、曰くつきの盃である。
 稀代の殺人鬼と呼ばれた張献忠の血への執着は、主が死んでからも盃に残され、その盃は、自ら血を求めるようになったのだ。
 シャーシャー殺人シャーレン……という、張献忠の心のままに……。
「これが、君の欲しがっていた《聚首歓宴の盃》ですよ、舜くん」
 銀髪の青年、黄帝は、そう言って、目の前の少年に、塗りの剥げた薄気味悪い盃を、見せびらかした。
 この青年、そんな曰くつきの盃を、のんびりとした口調で、まだ幼さの残る少年に見せびらかしているのだから、ただ者ではない。
 見た目は、二七、八歳の青年である。それも、月の精霊ではないか、と思えるほどに幻想的な容姿を備えている。
 だが、彼の実際の年齢を知る者はいないし、彼が月の精霊である、という言葉を否定できる者も、いない。この世が天と地に分かたれた太初から存在している、と言われても、不思議ではない青年なのだ。その神秘的な美しさのためでもあるだろう。
 長い髪を足首まで伸ばし、深い灰青色のローブを纏っている。タイトに仕立てた同色の繻子も、首にかける蹲るみずちの珠玉の首飾りも、緑色の極上の組み紐も、今の時代からは掛け離れている。瞳は黒曜石のような漆黒で、輝かしいばかりの銀髪は、実は、ただの白髪だったりする。
 何世紀生きているのかも解らないような青年なのだ。
 その彼が今いるのは、中国の山奥――本当に山奥としか言えないような秘境に聳える奇峰の最高峰、そこに刳り貫いて造られた住居の一室であった。
 雲海の中に数十もの奇峰が浮かぶこの地、この場所に、どうやってこんな住居を造ったのかは解らないが、壁も床も大理石だったりするから、驚きである。神秘的な山水画そのものの世界に――しかも、起伏の激しい岩山を登り、さらに険しい絶壁を登り、その絶壁に張り出した標高一九〇〇メートルにも及ぶ頂の内部に、こんな住居を存在させているのだから、ここの住人、得体が知れない。
 住居自体は岩を刳り貫いて造ったものではあるが、決して原始的なものではなく――さすがに電化製品まではおいてないが、かなり現代的な造りになっている。そして、岩の内部には、収まり切らない、と思える空間であった。
 そんなところに棲んでいる神秘的な麗人、となると、最早、ただの人間ではあり得ない。
 そして、盃を見せびらかす青年の前にいる少年も、また同じであった。
 射干玉のような黒髪と、それと同色の瞳を有している。蒼白い肌の色も、先の青年と同じよう、神秘的な雰囲気を放っている。
 彼は、その銀髪の青年の息子で、舜、といった。
 父親たる青年が人外の美貌の持ち主なのだから、息子である彼がそれを受け継いでいても不思議ではない。とはいえ、この息子、父親をひどく嫌っているために、母親似であると信じている。
 こちらは、見た目も精神こころも、まだ十六、七歳の少年である。そして、父親とは正反対に、現代的な格好をしている。
「いつの話をしてるんだよっ。その盃をオレに預けてくれる、って言ったのは、もう半年も前のことじゃないか。修理が終わったらすぐにくれる、とか言っておきながら、のらりくらりとっ」
 父親に対してのこの口の利き方でも、彼が父親を嫌っていることはお解りいただけるだろう。
 この少年――さっきも言った通り、舜というのだが、早く父親の監視下から逃れたい一心なのである。
 それというのも、この父親――。
「おや、ぼくはそんなことを言いましたか?」
 相変わらずの惚けた口調で、銀髪の青年、黄帝は言った。
 これは日常茶飯事のことであり、話が真っすぐに進んだことなど、一度として、ない。
 万人を恍惚とさせる麗容の持ち主でありながら、限りなく惚けた青年なのだ、彼は。舜に言わせると、とてつもない変人、らしい。
「あの時、はっきりと言ったじゃないかっ。今、修理してる途中だから、直ったらすぐに預けてくれるってっ」
「んー……。年のせいでしょうかねぇ。最近、物忘れが激しくて」
 腹が立つほどに、のんびりとした口調である。
 月さえ霞むような面貌で、そんな惚けた口を利いてしまうのだから、この青年、やはり人格が知れない。これも、舜の言葉を借りるなら、あまりに長く生き過ぎたために、ボケが悪化して、自分の人格すら解らないようになっている、ということらしい。
 だが、舜の傍らに立つもう一人の青年、デューイはそうは思ってはいないだろう。彼は、心の底から黄帝を崇拝しているのである。――いや、彼だけではなく、その美しい人外の青年を前にした者なら、誰もが間違いなく魂を売り渡してしまうに違いない。――息子である舜以外。
 今もデューイは、茫としたまま、黄帝に見惚れて、突っ立っている。
 もちろん、息子である舜の方も、そういう崇拝を受けて当然の神秘の持ち主ではあるのだが、彼の場合、性格で少々損をしている。
 まだ子供なのである。



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