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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)

二夜 蜃の楼 28

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 それでも、それは、永遠の生命を持つ者だからこそ言える、きれいごと、なのではないだろうか。自らが人間と同じように、たった数十年の生命しか持っていなかったとしても、同じようにこの世界の存在を否定できるだろうか。
「オレ……まだ、どうすればいいのか、判らない……」
 もしかすると、この世界の答えは、限りある生命を持つ人間、もしくは、その人間の心が解るものしか、出してはならないのかも、知れない。
「舜くん。この楼には、常に四六〇人余りの人間がいます。増えもせず、減りもせず……。紀元前二一二年、始皇帝の命令で仙人探しをしていた方士たちが、仙人を見つけられないまま、始皇帝から金だけを持ち逃げし――まあ、そもそもが、始皇帝の不滅願望に付け込んで、金を毟り取ろうとしていただけのインチキ方士だった訳ですが――。激怒した始皇帝は、彼らの内の四六〇人余を捜し出し、生き埋めにしました」
「生き埋め……」
「『抗儒』事件ですね」
 そう言ったのは、デューイであった。
「ええ。舜くんも、あなたくらいに勉強をしてくれればいいのですが。――まあ、今はその話はやめておきましょう。舜くんに厭味を言うために、こんな話をした訳ではないのですから」
 本当かどうかは、定かではない。
 口を開いたのは、蜃であった。
「私はあの時に、答えを出した積もりでした……。そこまで愚かに不老長生を求めるのなら、この世界は必要であるのだと……」
「なら、その答えを信じていれば良いのです。その答えが正しいのか、間違っているのかなど、まだ誰も決めてはいないのですから――。舜くんは連れて帰りましょう。実のところ、彼を君のところへ逝かせるのは、まだ早いと思っていたのですが、舜くんが別の用で、君に逢いたいと言っていたもので、止めなかったのですよ」
「別の用、ですか?」
「ええ。――舜くん、彼に頼むのなら今の内ですよ。人間が、自分の身に余る不老長生を望んだように、君にも求めるものがあったでしょう?」
 どこまで意地の悪い青年なのであろうか、彼は。
 舜は、ギュッ、とこぶしを結んだ。といっても、今日に限っては、その青年を殴ってやりたい、という意味ではなく、自分に無いものを望んだことへの、恥ずかしさのためである。
 何故、黄帝がここへ舜を来させたのかも、解ったような気が、していた。
「……もう要りません」
 と、噛み締めるような口調で、言う。
 空を飛ぶ術、というのが、空中に蜃気楼を出現させる幻術である、と解っていれば、最初からここへ来たりはしなかったのだ。
「では、帰りましょうか。今の君の力では、蜃を倒すのは、どっちにしろ無理でしょうし――。蜃、舜くんとデューイさんの蜃気楼を、驪山陵から出してくれますか? 生命は私が分けますから」
「はい、父上」
 そう言い、
「次はいつ、お逢い出来ますか?」
 蜃は訊いた。
「いつでも。君が望む時に」
 優しい言葉だけが、最後に残った。――いや、それは本当に優しい言葉であったのだろうか。相手に何かを望ませ、その望みを叶えてやることは、本当に優しいと言える行為なのだろうか。
 蜃は、薄く微笑んだだけ、であった。
 父親の元で暮らしたい、と望みながら、その望みが叶えられなかった彼は、その望みを叶えるために、舜のようになりたい、と思っていたに違いない。
 そして、生きている限り、完璧であることなど、適わないのだ。全てを望もうとするからこそ、そこに歪(ひず)みが生じてしまう。
 舜は、黙って、瞳を伏せた。――いや、ハタとあることが脳裏を過り、その不安に顔を上げた。
「あの、生命を分ける、って……。まさか、オレが莉芬にしたのと同じような方法で、なのか?」
 と、恐る恐る、問いかける。
 いくら何でも、黄帝にケツを掘られるのは、舜としては、ごめんである。
「オレ、絶対、厭だからなっ! そんなことされるくらいなら、自力で抜け出せるまで、ここにいた方がマシだからなっ」
「ぼくは別に、その方法でも……」
 それは、デューイの言葉であった。
 その問いかけに、黄帝の返事は返らないまま、二人の姿は、蜃気楼となって、驪山陵の外へと吐き出されていた……。



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