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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 25
しおりを挟む「もし、また限りある生命を持って生まれて来ることが出来たなら……」
莉芬は恥ずかし気に瞳を伏せ、
「もし、花として生まれて来ることが出来たなら、あなたのお心を和ませる一輪として、萎れるまで側においてくださいませ……。もし、蝶として生まれて来ることが出来たなら、あなたの肩に止まることをお許しくださいませ……。そして……もし、女として生まれて来ることが出来たなら……あなたの妻として迎えてくださいませ……。それが私の望みです」
溢れるような笑みを零し、莉芬は地下宮殿へと身を沈めた。
風のような仕掛け矢が、莉芬の胸を鋭く貫く。
舜の足は、凍りついたように、動かなかった。
見開いたままの漆黒の瞳も、瞬きすら忘れて、乾いている。
その宮殿は、冥府の世界への入り口なのだ。死者のみが潜ることの出来る、死出の門――。
「ど……して……。オレ……連れ出すって……約束して……」
「舜?」
「約束したのに……足が……足が動かなくて……」
舜は、震える声で、呟きを落とした。
助けなくてはならない、と思っていたのだ。それなのに、足は根が生えたように動かなかった。舜の足なら、すぐに駆け出していれば、莉芬を止めることも出来ていたであろうに、それなのに足は、微動ともしてはくれなかったのだ。誰かに押さえ付けられていた訳ではなく、まるで、それが舜の意志であるかのように。舜自身も、莉芬を死なせてやりたい、と思っていたかのように。
「オレ……結婚したいのかどうかなんて……判らなかったけど……あの娘といると、ドキドキして……助けてやろう、って……」
本気でそう思っていたのだ。決して、莉芬の死を願ってなど、いなかった。不老長生が、人間には重すぎるものだと解っていても、死なせることで楽にさせてやりたい、とは思わなかった。
「舜……」
デューイが、言葉が続かない様子で、眉を落とす。
「許さな……い……。蜃の奴……。許すもんか!」
舜は、驪山陵の入り口へと、駆け出した。
「舜!」
デューイの呼びかけにも足を止めず、美しい爪を鋭く伸ばし、自らの胸に突き立てる。
地下宮殿の入り口を潜ることが出来るのは、死を迎えた人間のみ――。
舜も、自らの爪で、血を送り出す心臓の動きを、止めていた。
呼吸停止、心臓停止。
デューイの声も聞こえなくなり、次の刹那、舜は倒れ込むようにして、驪山陵の内部へと踏み込んでいた。
莉芬の姿は、すでになかった。もう、彼の世と言われる場所へ逝ってしまったのか、それとも、舜とは行き先が違ったのか。
目の前には、闇があった。
光もそこに、存在している。
人魚の膏を使った永遠の燈りが仄かに灯り、水銀の流れる川や海が、壮大な規模で広がっている。
宮殿が、ある。
兵士が、いる。
財宝がぎっしりと、並んでいる。
その光景は、地下宮殿の内部、というより、一つの世界――限りない空間を持つ冥界、といった方が相応しかった。
「舜!」
追いかけるようにして、薄闇の中から、デューイの声が耳に届いた。
見れば、当人もそこに立っている。舜と同じように命を断ち、この冥界へと入り込んで来たのだろう。
「……馬鹿だな。あんたまで死んでどうするんだよ」
「え、さあ……。君が死ぬものだから、つい……」
つい死んでしまった、というのも、惚けた話である。
「頼りない奴。――まあ、もう死んじゃったんだから、仕方がないけどさ」
あっさりと言い、舜は、辺りの闇に目を凝らした。
その青年は、待つこともなく、すぐに二人の前に、姿を見せた。
美しい青年である。切れ長の黒瞳は涼しげに細まり、後ろに結い上げる漆黒の髪は、一糸も乱れず白いうなじに沿っている。優しい色合いの翡翠色のローブは柔らかく、幻のような淡い存在感は心地よく、夜の神のような神秘を放っている。
まさに、人外の麗人であった。
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