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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)

二夜 蜃の楼 22

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 その青年とは春からの付き合いになるが、少年趣味を持っていたなど、今まで全く、知らなかったのだ。やたらと舜に親切にしてくれる青年ではあったが――そして、舜が何をしようと、怒りもしない青年であったが、まさか、その気があったなどとは、夢にも思っていなかった。今まで襲われなかったのが、不思議なくらいである。
「舜、ぼくは無理やり犯したりするような真似は――」
「当然だろ。オレ、まだ黄帝ほど長く生きてないから、女以外ともやってみたいなんて思わないからな。黄帝は男でも女でも構わない奴だから、狙うんなら向こうにしとけよ」
「……」
 デューイは、しゅん、と項垂れている。
 ちょっと可哀想な気もするが、ケツを掘られるようなことになっては、舜の方が可哀想である。
「ともかく服を着ろよ。オレ、その少年の様子を見てみるからさ」
 そう言って、舜は、寝台の少年へと視線を移した。
 もちろん、見る前から、その少年がこと切れていることは、判っていた。すでに呼吸は停止し、心臓も動きを止めている。血を送り出してはいないのだ。
 急激に体内の血を失ったために、血圧が下がってショック死を起こしたのだろう。指先や唇が、紫色に変色している。
 だが、それでいて、その少年の表情は、驚くほどに穏やかであった。不思議、という言葉を使ってもいい。至福、としか呼べない表情をしていたのだ。まるで、こうして息絶えることを望んでいたように。
 望んでいた、のだろうか。
 彼は、己が死ねる日を待っていた、というのだろうか。
 恐らくそれは、舜の思い違いでは、なかっただろう。彼は確かに、死ぬことを望んでいたのだ。この楽園での、永遠の生命に耐え兼ねて。
 死にたくても死ぬことが出来ない永遠の生は、死の間際に、これほど幸福そうな表情を作らせるほど、年若い少年を苦しめていたのだ。彼に苦痛をもたらしていたのだ。
 やっと永遠の生命から解放され、だからこそ彼は、それほどまでに幸福そうな顔をしている。
「これが蜃のやっていることなのか……」
 舜は、ギュッ、とこぶしを握り締めた。
 きつく結んだこぶしの中には、爪が痛いほどに、食い込んでいる。
 死ぬことも許さず生かし続け、唯一、その生命を断ち切れる手段が、この世界に迷い込んで来た人間との生命の交換であるなど、あまりにも残酷で、非道すぎる。
「舜?」
「行こう、デューイ。蜃を捕まえて、こんな世界なんか消し去ってやる」
 永遠の生に耐えられるようになど創られてはいないのだ、人間は。
 デューイを促し、舜は少年の遺体にシーツを掛け、厳しい面貌で部屋を出た。
 それは、近寄り難い雰囲気すら放つ美貌、であったかも、知れない。
 驪山陵の方へと足を向け、怒りを満たして唇を結ぶ。
 その途中、ハタとあの少女のことを、思い出した。
「あ、莉芬を連れ出してやらなきゃならなかったんだっけ」
 と、足を止める。
「莉芬?」
 その名前を聞いて、デューイが不思議そうに、首を傾げた。
 舜は手短に、これまでのことを話して聞かせた。もちろん、彼女に対する責任のことも。
「責任、って……。その娘と結婚する積もりなのか?」
 そのデューイの驚愕も、当然のことであっただろう。少女の葩を開いてしまった後に取る責任といえば、それくらいのことである。
 だが、舜は――。
「結婚? 何でそう話が飛ぶんだ?」
 と、全く解っている様子もない。
「今、責任を取るって――」
「それは、責任持って外に連れ出してやる、ってことじゃないか。オレが、あの娘を〃限りある生命〃にしたんだから、当然だろ。風呂に入ってセックスをした後どうなるかだけ確かめて、はい、さようなら、じゃ、あの娘が可哀想じゃないか」
「……」
 デューイは絶句である。
 舜にしてみれば、莉芬と結婚する積もりもなく、もちろん、愛しいから抱いた訳でもなく、ただこの世界の仕組みを知るために莉芬の言う通りにし、その結果、そういう事態に至ったことに、責任を取ろうとしているだけなのだ。
「……彼女の方も、そういう意味に受け取ってくれていればいいけど」
 デューイは、頭痛にも似た響きで、呟きを、落とした。
 そして、二人は、莉芬の待つ隠し部屋へと、戻り始めた。


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