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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 16
しおりを挟むここでもう一度、この世界が異質のものであり、舜にとって、どんな危険が潜んでいるか判らない場所であることを、付け加えておこう。何しろ、当事者であるその少年、そんなことなどすっかり忘れてしまっているのだから。
その舜が、今、まさに、寝入ろうとしていたその時であった。壁の向こうに、人の気配が近づいて来た。
寝入ってしまった後なら気がつかなかったかも、知れない。それほどに静かで、血の匂いのしない気配であったのだ。
だが、運が良いのか悪いのか、舜はまだ寝入ってしまう前であった。
気づいて数秒と経たずに隠し扉が開き、一人の少女が姿を見せた。もちろん、舜にも身構える時間はあったが、相手が舜を殺すつもりでいたのなら、とてもではないが、準備万端、とは言い兼ねる状況であっただろう。
「夜伽をつとめに参りました……」
少女が、言った。可憐で、男など知っていそうにない、年若い娘である。舜の記憶違いでなければ、最初に舜とデューイを出迎えてくれた、あの少女であっただろう。
「え、あの、夜伽って……」
舜は、唐突でしかないこの成り行きに、ただ戸惑うしかなく呆然と言った。
何しろ、山を下りるのも二度目、という、耳年増の少年である。女の子に触れたこともなく、触れる機会もないまま山で暮らしていた舜には、全く、縁のない言葉であった。
少女が、肩に羽織るショールを外し、楚々と舜の方へと近づいて来た。
「わああっ! ちょっと待って――っ」
我ながら情けない、と思える声を上げて、舜は、なす術もなくうろたえた。
もちろん、女の子のことを知りたい、という思いはあるが、こういうのはちょっとルール違反である。
黄帝なら、あっさりとその少女をいただいてしまうに違いないが、それは経験者と未経験者の違いであり、その差はかなり大きいものがある。
第一、うまく出来なかったりしたら、恥ずかしくて立ち直れない。
「……私では、お気に召しませんか?」
泣き出しそうな顔になって、少女が言った。
多分、舜の態度がそうさせてしまったのだろう。未経験者でも、そのくらいのことは、察しがつく。
「そ、そういう意味じゃ――。オレ、ゆっくり寝たいだけだからっ」
まさか、初めてのことで動揺している、とは、口が裂けても言えない。
「それに、オレはただの旅の人間だし、そんな人間に……」
今さら道徳を振り回すような立派な人間ではないと思えるのだが、逃げ口上としては、それ以外の言葉も思いつかない。
「旅の御方のお疲れを癒すのが、私のつとめでございます……。心も体もお疲れでございましょう。どうぞ、今宵、あなた様のお側においてくださいませ」
おいてくださいませ、と言われても、はい、解りました、と言えるほどの大人でもない。
「あの、オレ、疲れてないし、一回死んだけど、今はもう元気だし――。あっ、そうだ。デューイなんかどーかな。オレと一緒に来た奴。あいつ、目一杯疲れてたみたいだから――。気をつけないと咬みつかれるかも知んないけど、ここの人は血の気がない人ばかりみたいだし、多分、大丈夫だと思うから……っ」
支離滅裂な言葉である。
「あの方のお側にも、他の者が召しております。お友だち思いでいらっしゃるのですね」
「そ、そんなことは……」
邪険に扱いこそすれ、労ったことなどない間柄である。
「私は莉芬と申します」
少女は言った。
「そ、そう。きれいな名前だね」
その言葉に、莉芬と名乗った少女の頬が、ぽっ、と染まった。
普通の愛らしい少女の反応である。舜を前にした時から、表情は少し恍惚となっていたが、今は恥じらいのようなものも含まれている。
何より、本来なら畏怖も同時に与えてしまう美貌の少年――棲む世界の違う夜の一族の民である舜に、その警戒心を見せていないのだから、舜のうろたえようが、それを消してしまっているとしか思えない。
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