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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 14
しおりを挟むデューイの双眸から、赤光が、消えた。
「悪かった……。矢を抜く間は我慢できたんだけど……血が溢れ出すのを見た途端、我慢できなくなって……」
と、申し訳なさそうに、視線を落とす。
今回ばかりは、舜もかなり後ろめたい事情があるので、それ以上の厭味は口に出来ない。
何しろ、死んでしまっていたのだから、本来なら止めを刺されていても、仕方のない状況であったのだ。ここが見知らぬ場所であり、実態も掴めない未知の世界である限り、死んでしまうなど、もってのほかである。デューイがいたから良かったものの、一人でいたなら、どうなっていたか判らない状況である。
それに何より、こんなことが黄帝に知れてしまったら、今度はどんな処分を言い渡されるか、解ったものではない。以前、川に落ちて羽根を封印されてしまった時と同様、さらに自由を削り取られるに決まっているのだ。
「まあ、今回は血の匂いを嗅いだんだし、我慢できなくても仕方がないけどさ」
などと、デューイに対してまで、労りの言葉を持ち出したりなどしている。もちろん、下心があってのことである。
「黄帝には黙っててやるから、オレが死んだことも報告するなよ」
所謂、交換条件、という奴だ。
だが――。
「でも、黄帝様に嘘は……」
黄帝に心酔しまくっているデューイは、融通が利かない。
「嘘をつけとは言っていないさ。訊かれもしないのに喋る必要はない、って言ってるんだ。報告は全部オレがするからさ」
まだ父親が怖い年頃の子供なのである、舜は。
ついでに、この世界から出られないかも知れない、とは、夢にも思っていないようである。
「ところで、オレが死んでる間、ここに誰かいなかった?」
デューイが見た時、その人物は、すでに空間の歪みに消えるところであったという。チラ、っと見た限りでは、舜に似た雰囲気を持つ美しい青年で、夜を司る神のようでもあったと――。
早い話、アメリカ人である彼には、東洋人の顔の区別など、あまりつかないのだ。
ちなみに、黄帝に関しては、神々にも等しい存在となっているので、人間と比べる対象にはならないらしい。
だが、羽根もないのに、虚空に軽やかに浮かんでいた姿は、確かな事実として、残っていた。
「もしかして、そいつが《神仙術》を使う仙人なのかナ……」
当初の目的である、羽根なしで空を翔る術を使う青年の話に、舜はうっとりと、心を馳せた。こんな状況でも、子供というのは、夢を見ることが出来てしまうのである。
もし、あの青年が、『香木の杭にでもしておくべきだったかな』と言うのを聞いていたなら、敵としての注意を払えていたかも、知れない。
だが、舜はその時、死んでいたのである。
喉元過ぎれば、で、矢を受けた傷も治った今、その青年が敵かも知れない、ということは、舜の頭からは、きれいさっぱり消え失せていた。
もちろん、ここが何の危険もない(仕掛けにさえ気をつけていれば)世界である、と思い込んでいたせいでも、ある。
「他の宮殿は無防備なのに、何でこの驪山陵だけ、外からの侵入者を拒む仕掛けがしてあるんだろう」
血の誘惑から立ち直ったデューイが、ぽつり、と言った。
「仕事ができて良かったな」
「へ?」
「秦の始皇帝と気が合うんだから、それを訊いて来てくれよ。オレはもう少し、この世界のことを調べてみるからさ」
どんな状況でも、わりと楽観的な少年なのである、彼は。
まあ、親が親であるのだから、思い詰めるような性格ではやっていけないのだろうが。
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