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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 10
しおりを挟む紀元前二三〇年、韓を滅ぼしたのを皮切りに、趙、魏、楚、燕を次々に攻め滅ぼし、紀元前二二一年、最後に残った斎を滅ぼして戦国の六国を全て併合、天下統一を遂げた秦の始皇帝、秦王政は、次々と夥しい数の宮殿を築き、紀元前二二〇年、《地上空間》と《天上世界》を対応させるという構想の下に、『極廟』を建築した。
極――すなわち、天の中心にきらめく北極星のことである。
さらに八年後の紀元前二一二年には、天帝の棲む紫微宮に対応する阿房宮を造り、自らの本拠もそこに移した。
彼は地上界を支配するだけでなく、天上世界をも含めた全宇宙、さらには彼(あ)の世たる冥界をも支配することを欲したのだ。
阿房宮と閣道によって繋がる驪山の始皇陵(驪山陵)こそが、その冥界と呼応するものである。
「……つまり、ここは本当に実在する世界なのか?」
デューイの話を聞いて、舜は訊いた。
「正しくは、本当に存在していた世界だ。まだこの国が秦と呼ばれていた頃に――。秦王朝は、紀元前二〇七年に滅亡している。――中国人のくせに、自分の国の歴史も知らないのか?」
その言葉には、舜もかなり、ムッ、とした。
「オレは、昔のことなんか興味がないんだよっ」
と、ぶっきらぼうに、吐き捨てる。
なんとなく今、黄帝がデューイと共に行け、と言った意味が解ったような気が、した。
そして、黄帝が今頃、舜が帰って来た時の厭味を考えているような気も……しないではない。――いや、きっと考えているだろう。
「あのクソおやじ。知っててオレに教えなかったな」
本当は、舜が面倒臭くて聞かなかっただけなのだが、そんなことなど、当人はすっかり忘れている。
黄帝はあの日、こう言ったのだ。
『あのですね、舜くん。物事を知るには、たとえ遠回りに思えても、一から順番に聞いた方が早いこともあるのですよ。たとえ偶然、一もなしに十を見つけることが出来たとしても、一を理解していない君には、その十の意味さえ解らないのですから……』
と――。
その前には確か、秦王政の名前も出ていたような気が、する。
つまり、悪いのは舜、という訳である。
「秦の始皇帝は、人間としての限界――つまり、『死』を超越するために、不老長生のための仙薬や仙人を探し求めていたんだ。自らを天帝や冥界の王に準えて、不滅の生を願ったように」
「ハッ。馬鹿な奴だな。長く生きたって、黄帝みたいな変人になるだけだってのに」
舜は肩を竦めて、天を仰いだ。
人間は、死ぬことが出来る寿命があって、幸せなのだ。元来、愚かな生き物なのだから、長く生きていてもロクなことにはならない。
「だけど……。まさか、本当に死を超越して、之罘山に阿房宮や驪山陵を存在させていたなんて……」
デューイは感心するように、不滅願望の産物を見渡した。
だが、本当に、人間の妄執だけで、こんな世界が築ける、というのだろうか。
「人間にこんな力はないさ。あるとすれば、そいつはもう、人間じゃない」
別のものになってまで長生きをしたい、と思うものなのだろうか、人間とは。
デューイのように、自分の意志とは関係なく、別のものに変えられてしまった者はともかくとして――。
「あれが阿房宮だろう」
デューイの視線の先には、壮麗を極める建造物があった。
「楽しそうだな」
やたらと〃にこにこ〃しているデューイを見て、舜は皮肉な視線を投げ付けた。
体の苦痛がここへ来てなくなっていることもあって、デューイは本来の性格以上に、人の良さそうな顔をしているのだ。
「そりゃ、秦の始皇帝に逢える機会なんて、死ぬまでないと思っていたからね」
どうやら彼には、今の状況よりも、歴史上の人物に逢えることの方が、楽しみらしい。
「……オレ、こいつと黄帝とこのまま一緒に暮らしてたら、精神に異常を来すかも知んない」
舜の新たな苦悩の始まりの一日であった……。
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