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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)

二夜 蜃の楼 7

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 迷っている、というのに、舜の歩調は、少しも不安そうではない。やはり、あの青年の息子だけあって、ただものではないのだ、この少年。
「君の一族は――ぼくと同じ種族は、この中国に大勢いるのかい?」
 気を紛らわすためか、歩きながら、デューイが訊いた。
「さあ。オレ、まだ山を下りるのも二度目だし、黄帝とかーさんと……それから、血液の買い方を教えてもらった人しか知らない。あとは、あんたの首を咬んだ奴」
 ちなみに、ここで舜がいう山とは、この之罘山のことではなく、彼らの住居たる、奇峰の最峰のことである。
「そうか……」
「生きて行けるかどうか不安かい? 吸血鬼になんかなりたくなかっただろうからな。黄帝に言えば、苦しまなくてもいいように、眠らせてくれるぜ」
「いや……。この喉の渇きと悪寒さえなければ、そう悪いものでもないさ。怪我はあっと言う間に治るし、全ての能力が信じられないほどに上がっている。何より、君や黄帝様と一緒に来らせる」
「あんな変人のどこがいいんだか」
「あの方は――」
 デューイが言いかけた時であった。突然、バサバサ、っと梢(こずえ)がざわめき、鮮やかな影が飛び立った。
「鳥だ」
 それは、二人がこの山に入ってから、初めて目にする生き物の姿であった。
「動物がいる場所まで来たのなら、もう道に迷う心配もないぞ。オレ、動物とは相性がいいんだ。本来の勘もすぐに戻る」
 ちょっと楽天的過ぎる気がしないでもない台詞だが、その舜の自信に水を差すような真似は、ここではしないことにしよう。せっかく、二人の前に広がった希望である。
 二人は、鳥が飛び立った方向へと、軽い足取りで歩き始めた……。


 何ということであろうか。木々が開け、光の差し込む空間に出ると、そこには、壮麗を極める宮殿が、あった。まさに、あった、のである。聳えていた訳でも、根を張っていた訳でもなく、この山奥の幽境の地に、何の違和感もなく、あった、のだ。確かに宮殿と呼べる建造物が。
 中心となる殿は、舜の目測でも、東西六七五メートル、南北一一三メートルにも陣取っていただろうか。それが宮殿の全てでは、ない。
 中心となる宮殿は、複道ふくどう(二階建ての通路)によって、小川を渡った北側の宮殿と連結され、巡り巡った閣道かくどう(重層の回廊)によって、また別の宮殿へと続いている。
 それを彩る中国庭園には、さまざまな形の白い巨石が、バランス良く、それでも何の意図もないように配置され、その間を縫うように、緩やかな小道が続いている。
 その先には、樹木と花々の生す、見目麗しい空間があった。
 右手には、竹林が青々と眩しく輝いている。
 花を摘む少女たちが、いる。
 悪戯を仕掛ける少年たちが、いる。
 酒を酌み交わす男たちが、いる。
 装飾品や、舶来の織物の美しさを競う女たちが、いる。
 腰の曲がった年寄りが、いる。
 遊びに夢中になっている子供たちが、いる。
「な……。これは一体、何なんだ?」
 いきなり視界に入ったその光景に、舜は呆然と呟いた。
 デューイも、声さえ出せない様子で、夢のようなその世界に魅入っている。
「どう考えても普通じゃないよな……これは。山を下りるのが二回目のオレだって、山ん中にこんな宮殿が広がってるなんて信じないぞ」
 最も賢明な言葉であっただろう。ここは、鬱蒼とした之罘山の山中であるはずなのだ。
「君の探していた仙人が創ったものではないのか?」
 デューイが言った。
 一見、うなずけそうな言葉ではあるが、俗世を離れて山に籠もった仙人が、こんな俗物的な、絢爛たる宮殿を造るなど、どう考えてもうなずけない。
 ここは、明らかに異質の場所なのだ。
「……戻った方が良さそうだな。戻れるなら、だけど」
 難しい顔で、舜は言った。
 そういう顔をすると、まさに人外の麗人である。


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