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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 6
しおりを挟む神秘的な夜の一族の姿であった。
グワっ、と乱杭歯が剥き出しになった。
血の双眸は、舜の首筋を見つめている。
蒼白く、生を感じさせないその面貌で、舜の首筋に、鋭い乱杭歯を突き立てる。
刹那、舜は、数メートル横に、飛翔した。羽根のない飛翔であっても、それは、神秘を身に持つ者に相応しい、華麗で優美な飛翔であった。
美しい、のだ。その面貌だけでなく、彼を形造る存在自体が。
「危ない奴だな……。おちおち前も歩けやしない」
音さえ立てずに土を踏み、舜は、不機嫌を露に唇を曲げた。
あれ以来、ずっとこの調子なのである。
「あ……すまない。おいしそうで……どうしても我慢できなくて……」
デューイの双眸から赤光が消え、鋭い乱杭歯が唇に隠れた。
彼はまだ、血に対する欲望を抑えることが出来ないのである。これが、黄帝の言っていた、デューイが街で暮らせない理由であり、その欲望が抑えられるようになるまで、舜が面倒をみることになっている。
舜としては、一時たりとも油断がならず、うかうかと眠ってもいられない訳である。もちろん、眠っていても、危険が迫れば目は醒めるのだが、熟睡している時は、その限りではない。間違いなく、デューイの餌食となることだろう。
「まあ、オレに拘わったせいでそんな風になったんだから、文句は言わないけどさ」
喉の渇きを堪えるだけでも、大変なことなのだ。その苦しみに耐え切れなくなった者が、今のデューイのように、人を襲ったりすることになる。
「……もう大丈夫だ。喉は干上がった湖みたいにカラカラだけど」
琥珀色の瞳で、デューイは言った。
「携帯用の血液バックがあるけど、飲む?」
腰につけているウエスト・ポーチの中から、使い捨てのプラスチック・バックを取り出し、舜は訊いた。
デューイの瞳が、パッ、と輝く。
その血液バックは、本来の二人の食料ではないが、長期間家を離れるために、特別に用意したものなのだ。普段の二人の食料は、《朱珠の実》という、黄帝が作る特別な実であり、人間の血を飲む、ということは、まずあり得ない。
だが、居を離れるに当たって、その実を持ち出す訳にも行かず――また、持ち出すことも出来ないので、街にいる一族の人間から、合法的に血液を手に入れる手段を聞き、正規の手続きを踏んで、病院からその血液バックを買い込んだのである。
《朱珠の実》は、誰にでも手に入れられる、というものではないために、黄帝や舜、デューイ以外の一族の者は、そうして血液を手にいれている。
《朱珠の実》というのは、一粒食べれば一週間は体力を維持できる、という優れものなのだが、それは、黄帝か、もしくは黄帝の体質をほぼ忠実に受け継いでいる舜にしか触れることが出来ないものであり、他の者が触れたり、床や壁に触れたりすれば、瞬時に灰と化して消え失せる。
まあ、二人は出掛ける前に、その《朱珠の実》を食べて――デューイの場合は口まで運んで食べてさせてもらって来た訳であるから、喉の乾きさえ我慢することが出来れば、まだ血液バックに手をつける必要はないのだが。
「……。いや、我慢できる」
心の葛藤を表すような声で、デューイは気丈な言葉を口にした。
可哀想だが、夜の一族となった限り、耐えなくてはならないことである。夜の一族とは、普通の人間の何倍も苦しみ、生きる、というだけで、気が狂いそうになるほどの苦痛と戦って行かなくてはならない生き物なのだ。
「なら、行くぞ。――羽根が使えれば、空から山の様子を見ることが出来るんだけど……」
血液バックをウエスト・ポーチに仕舞い、舜は、樹木の覆い被さる空を、忌ま忌ましげに見上げた。
もちろん、羽根が使えるくらいなら、最初からこんなところに来る必要はなかった訳である。
二人は再び、山の中を歩き始めた。
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