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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)

二夜 蜃の楼 3

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 その日、舜は、雲海を眼下に臨む奇峰の最峰の居の一室――書庫で、一冊の本を捲っていた。
 標高一九〇〇メートルにも及ぶその最峰の居は、舜と黄帝、そして今は、デューイも共に暮らす、起伏の激しい岩山の上、さらに険しい絶壁を登った場所に存在する住居である。普通の人間には、まず出入り不可能な場所であり、どこを見渡しても山と谷だけが遠く広がっている。数十もの奇峰が聳える、山水画そのものの世界なのだ。
 その雲海に突き出した奇峰の頂の内部を刳り貫く形で、その住居は存在していた。
 どうやってそんなところに住居を造ったのかは判らないが、舜が物心ついた時、黄帝はすでにそこで暮らしていた。
 そして、その居の書庫には、優に数十万冊を数える膨大な量の書物があった。とてもその居に収まる量ではないと思えるのだが、それでも収まっているのだから、仕方がない。
 敷地面積や体積など、ここでは通用しないことなのだ。
 その書庫で舜が開いているのは、《神仙術》と題された古書であった。普段は、そんな古臭い本になど見向きもしないのだが、ある事情があって、熱心に読み耽っていたのである。
 そのある事情とは、空を飛びたい、ということであった。かといって、幼い子供が空を翔ることに憧れるように、というのではなく、かなり切実な思いで。
 実は、舜にも、空を翔ることの出来る翼があることにはあるのだが、父親たる黄帝に封印されてしまっていて、あと九十数年、使えない状態になっているのだ。それは、舜にとって不便極まりないことであり、切羽詰まった状況などでは命取りにもなるもので、以前、実際に敵と向かい合い、窮地に追い込まれた時も、空にしか逃げることの出来ない状況に置かれ、翼の重要性を思い知ったことがあるのだ。
 だからこそ、空を飛ぶ、ということは、舜に取っては、切実な思い、なのである。
 そこで見つけたのが、《神仙術》と題された古書であった。
 その古書によると、山東さんとう之罘山しふざんに棲む仙人は、風を操り、空を自在に翔ることが出来るという。
 本当かどうかは判らないが、今の舜には興味津々の内容であり、また、黄帝の書庫にあるくらいだから、馬鹿馬鹿しい、と投げ捨てる部類にも当たらない。
 そこで舜は、その本を手に、黄帝にその内容の如何を問いただしてみることにした訳である。
「んー……。之罘山の仙人ですか……」
 相変わらずの惚けた口調で、銀髪の青年、黄帝は言った。
 見た目は、二七、八歳の玲瓏な青年なのだが、実際、彼が何歳であるのかは、誰も知らない。この世が天と地に分かたれた太初から存在している、と言われても、別に驚きはしないだろう。人間には持ち得ない人外の美しさも、蒼く染まる山々のような神秘性も、足首まで届きそうな見事な銀髪も、彼を人ならぬものとして位置付けているのだ。
 その代わりに、と言っていいかどうかは判らないが、性格の方も幾分、変わっている。
 少なくとも舜は、これ以上の変人はいない、と信じている。こんな岩と雲海しかない寂しい場所に住んでいることも、舜の現代的な格好とは正反対の装い――タイトに仕立てた灰青色の繻子と、その上に羽織る同色のローブ、珠玉の飾りや、帯となる組み紐……すっかり時代からズレている。そのクセ、舜には街で買って着た流行の服を着させているのだから、全くもって、解らない。つかみどころのない青年である。
「そうですねぇ……。そんな話を聞いたことがあるような、ないような……」
 と、腕を組んで考え込んでいる。表情は本心から悩んでいるように見えるから、手に負えない。
「どっちなんだよっ!」
 舜は、気を持たせる黄帝の仕草に、苛立ちを交えて、詰め寄った。
 ここで、この少年が気が短い、などと思ってはいけない。目の前の美しい青年と来たら、たった一言の台詞を、一月もかけて喋るような奴なのである。
「あのですね、舜くん。ぼくは君の父親ですし、どこの家庭でも、父親にそんな口を利く息子などいませんよ」
 怖くない口調であることが余計に怖いのだ、この青年は。
「早く思い出してください、お父様っ」
 逆らってみても無駄なので、舜は建前だけの敬語を使った。
「んー、そうですねぇ……。ああ、そういえば、紀元前二一九年頃だったでしょうか。さいの方士、徐市じょふつ徐福じょふく)が、山東の琅邪ろうやで、《東海の三神山さんしんざん蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛洲えいしゅう)》に棲む仙人の話をしていたことがありましたねぇ」
 珍しく今日は、すんなりとそれを思い出してくれたようである。これは滅多にないことである。
 その青年ときたら、のらりくらりと、まるで舜の神経を逆なでするように、針の穴を千個も並べてからでないと、糸を通さないような人物なのである。もちろん舜も、彼が針の穴を千個並べるまで、黙って見ている訳ではない。が、いつも最後には、千個並べなければ糸を通す意味がないのだ、ということを思い知らされる結果となるのである。
 しかし、今回の一本目の針は、どうにも怪しい。紀元前二一九年という古さからして、その針が錆びて、穴が空いていないということも考えられる。
 それに何より、その青年は、そんな時代に生きていた、というのであろうか。もちろん、彼ならば不思議ではないだろうが。


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