華夏帝王奇譚 §チャイニーズ・バンパイア・ファンタジー§

竹比古

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一夜 聚首歓宴(しゅうしゅかんえん)の盃

一夜 聚首歓宴の盃 23

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 来客が訪れたのは、月が猫の爪の形をした夜のことであった。
 雲海を見下ろす最峰の居にも、その来客の影と共に、頼りない月灯りが差し込んでいる。
「あなたでしたか」
 銀色の、月の精霊のような青年は、訪れた貴婦人を見て、優しく言った。
 きれい、という言葉が、最も相応しい貴婦人である。年の頃は、三十代の半ばであろう。――いや、実際には、もう少し上かも知れない。結い上げた黒髪には気品が漂い、銀色の青年に似た雰囲気さえ、持ち合わせている。顔立ちが似ている、という訳ではない。血の流れに、同じものが混じっているのだ。
「あなたは少しもお変わりではないのですね、黄帝様」
 青年を見上げて、貴婦人は言った。
「すっかり年を取りましたよ。舜くんにも、いつもこの白髪のことをからかわれています。中へどうぞ、碧雲ビーユン。お茶を入れましょう」
 二人は、中国装飾の黒檀のテーブルを置く一室へと、場所を移した。
テーブルに並んだのは、香りのいい茉莉花茶ジャスミンティである。
「あれから少しも訪ねてはくださらないのですね」
 貴婦人――碧雲と呼ばれた貴婦人は、恨めしげとも思えない口調で、黄帝を見つめた。
 その名の通り、青碧珠サファイヤで出来た雲のように、透明感のある眼差しである。
「男の奢り、でしょうか。あなたの心が、いつも私の元にあると信じているのですよ」
「それでは、お許しするほかありませんわね。――舜は元気にしていますか?」
 美しく微笑みながら、碧雲は訊いた。
「ええ。――ああ、そういえば、ここ一週間ほど、姿を見ていませんねぇ。どこへ行ってしまったのでしょうか」
 何とも酷い父親である。彼はきっと、子供を千尋の谷へ突き落として、登って来たら、また蹴り落としてしまうような父親なのであろう。もし、子供がそのまま力尽きて登って来なくなれば、沸騰したお湯を注いで、止めに火のように熱したコールタールを流し込んでしまうに違いない。
「実は、あの子の夢を見たのです。もちろん、あなたの元にいるあの子の心配はしていませんが、あの子が炎に焼かれる夢を、この一週間、続けて見るものですから」
「ああ、そういえば、思い出しました」
 本当に今、思い出したのかどうかは、定かではない。
「舜くんは、腕を取り戻しに行っています。この間、どこかで失くして来たようで――。私の育て方が悪かったのでしょうね。彼が腕を失くして戻って来たのを見た時は、もう見捨ててしまおうかと思いました」
 何食わぬ顔で、黄帝は言った。呑気に、茉莉花茶の香りなど、嗅いでいる。
 だが、碧雲の方も、本当に心配している様子はないらしい。
「お隠しにならずとも、私には、あなたがあの子を愛してくださっていることは解ります。あの子に力を貸してくださったのですね」
 と、安堵したように、表情を緩める。
「あなたのように、才知に長けた方には、隠し事が出来ませんね」
 隠し事も何も、本当は力も貸さずに、翼を封印したまま見送った――見送りもしなかったというのに、いい面の皮である。
 それとも、彼は本当に舜に何らかの力を貸した、というのであろうか。
 少なくとも、碧雲がそう信じて疑っていないことは、確かであった。
「お顔の色が優れないようですが、無理をなさったのでは?」
「いいえ。友人を舜くんと共に行かせてしまったもので」
「では、私はあなたのお役に立つために、今宵、ここへ参ったのでしょう。人として老いて死ぬことを選んだこの身、あなたの糧となることを望んでおります」
 限りなく幻想に近い刹那を見るように、二人の影が重なりあった。
 この二人の関係は、というと、もうとっくにお解りだろうが、黄帝の娘の息子の三番目か二番目の娘の――と、系図を辿った子孫が碧雲であり、一番早い言い方をすれば、黄帝の何番目かの妻であり、舜の母親である。
 月灯りの中に、鋭い乱杭歯が浮かび上がった。
 碧雲の表情が恍惚と溶け、血を捧げる快楽に吐息を零す。
 そして、二人は共に、寝床に入った……。


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