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一夜 聚首歓宴(しゅうしゅかんえん)の盃
一夜 聚首歓宴の盃 3
しおりを挟む「さあて、どこに行こうかな」
と、口に出して呟きながらも、舜の行き先は、もうとっくに決まっていた。
東洋の魔都――そう呼ばれていた都、上海である。
もちろん、他にも行ってみたい場所は、山ほどある。が、まずは国内見物である。何か土産物を買って、母親の元に黄帝の極悪非道さをバラしに行き、その後、海外見物、というのが一番いい。
「大体、あいつは、自分だけ世界中を飛び回って、そのクセ、オレはあんな山奥に閉じ込めておいて、やり方がセコイんだ。二度とあんなところへなんか戻ってやるもんか」
ぶつぶつと、それでも解放された満足感に頬を緩めて呟きながら、浮き浮きとした歩調で、足を進める。
やっと自由の身になれたのだ。
舜も、耳にだけなら世界各国の話を聞いてはいるが、こうして山を下りて、自分の足で歩き回るのは、初めてである。
所謂、初体験、というやつだ。
「上海に着いたら、船に乗って外国に行くのもいいナ……。あ、でも、海に落ちるのは困るし、やっぱり飛行機かナ」
などと、金も身分証明証もないのに、のんびりと期待に胸を膨らませている。この満天の星空の下では、そんなことなど些細な問題でしかないのだ。
そんな舜が最初に利用した乗り物は、バス、であった。土地柄、バスしか通っていなかった、ということもある。それも、とんでもなくオンボロのバスである。都会には、日本製のリクライニング付高級バスが走っているらしいが、この辺りには、これしかない。
まあ、夜行バスが通っていただけでも、良しとしよう。いくら舜でも、歩いて上海まで行くのは、辛いのだ。
夜行バスに乗るには、本当は二、三日前から予約がいるらしいが、舜が頼むと、車掌は快く乗せてくれた。――いや、これだけの説明では、皆様に納得していただけないだろう。もう少し付け加えて説明しておくと、舜が、
「上海に行きたいから、バスに乗せて欲しい」
と、車掌の眼をじっと見つめてお願いすると、車掌は茫とした顔になって、コクリ、と一つうなずいてくれたのだ。催眠術の一種だ、と思っていただければいい。
そして今、舜は、東洋の魔都、上海を前にしていた。
バスの乗客たちの中では、
「ちょっと! このバスは南京へ行くんじゃなかったの!」
とかいう怒りの声が上がっていたが、それはもう舜が気にすることでは、ない。車掌が客たちに謝って、これから南京へ運んでやればいいことである。舜の大きな夢の前には、周りの多少の犠牲は、いたしかたないのだ。
一九〇〇メートルの標高の奇峰から飛び降りたことにしても、車掌に頼みを利かせたことにしても、ただ者ではないのだ、この少年。
もちろん、ここで彼が普通の少年である、と言ってしまっては、それこそ皆様の非難を浴びることになってしまうだろう。
とにかく、ここは上海である。
港に面した外灘には、祖界時代からのヨーロッパ風建築物が建ち並び、石造りやレンガ造りの洋館が、至るところに並んでいる。
黄浦江沿いの遊歩道を歩けば、行き交う大型貨物船や、ジャンクの姿を眺めることが出来、東洋のエキゾチシズムを満喫することが出来る。
ここは、東洋一モダンな都市、上海。
そして、うららかな春の朝。
黄浦公園には太圏拳を日課にする人々が集まり、爽やかな一時を演出している。というのに、舜の面は、蒼白である。その足取りも重く、今、彼の手に触れた者は、氷のようなその冷たさに、驚いて手を引っ込めることだろう。
早い話、気分が悪いのである。
血の気も失せ、体は襲い来る寒気に震えている。
「オレ……ここで倒れたら死んじゃうよな……」
新芽を生かせる恵みの太陽を忌ま忌ましげに見上げ、舜は公園の木陰に入り込んだ。その木陰に腰を降ろし、ぐったりと太い幹に凭れかかる。
「あーあ……。夜行バスって、朝に着くんだよなァ……。オレ、不死身じゃないのにさ……。ここで死んだら、あいつ、笑うだろうな……」
頭の中に浮かんだのは、もちろん、冷めた眼で笑う黄帝の姿である。そして、それが舜の思い過ごしでないだけに、余計に腹が立つ。舜が死んでも、気に留めもしない人間なのだ、あの青年は。
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