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一夜 聚首歓宴(しゅうしゅかんえん)の盃

一夜 聚首歓宴の盃 1

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「困りましたねぇ……」
 言葉とは裏腹、ちっとも困ってなどいない惚けた口調で、銀髪の青年、黄帝ファンディは、考えるように頬杖をついた。――いや、見かけは二七、八歳の青年だが、実のところ、彼が何歳であるのかは、誰も知らない。この世が天と地に分かたれた太初から存在している、と言われても、誰も驚きはしないだろう。いつからここにいるのかさえ、知る人間はいないのだ。
 ここは、中国の山奥である。本当に、その一言で片付けてしまえるほど、山と谷しかない場所である。数十もの奇峰が雲海に浮かび、神秘的な山水画そのもののような景色だけが、続いている。
 その起伏の激しい岩山を登り、さらに険しい絶壁を登った場所なのだ、ここは。
 そして、その絶壁に張り出した頂の内部に、その青年の住居があった。岩を刳り貫いて造ったものではあるが、原始的なものでは、ない。さすがに電化製品は置いてないが、壁も床も大理石だったりする。
 もちろん、どうやってこんなところに住居を造ったのかは、判らない。出入り口の外は、目が眩む高さの絶壁なのだ。雲海のせいで、地上の姿は臨めないが、何とも壮大な眺めであることは、間違いない。
 そんなところに住んでいるせいかどうかは判らないが、その青年の面貌は、人外のもののような美しさであった。足首まで届きそうな長い銀髪も、黒曜石のような漆黒の瞳も、風景と呼んだ方が相応しいほどに、雲海の幻想に溶け込んでいる。
 しかし、少々変わっているようで、玲瓏な面貌に似合わない惚けた口調も、こんな山奥に長年暮らしているというその神経も、常人が理解できる範囲では、ない。
 きっと、あまりに長く生き過ぎたために、自分の人格すらも判らなくなってしまったのだろう、と、シュンはかねがね思っている。
 ちなみに、この舜とは、その青年の息子のことである。見た目は十六、七歳の少年だが、こちらの方も実際の年の方は判らない。一つ言えることは、親に似て、端麗な面貌を持つ少年である、ということだけである。
 もちろん、性格の方は受け継いでいない、と、舜は堅く信じている。髪は親と違って黒いのだから、まあ、それも有り得るだろう。
 とにかく、この美しい秘境に住んでいるのは、彼ら二人だけであった。
「うーん……。君の言うことも解らないではないのですがねぇ」
 と、玲瓏な青年、黄帝は、白い指先で、頬を掻いた。
「解ってるなら、山を降りたって構わないじゃないかっ。オレだって色々な街に行ってみたいんだ」
 おや、年相応の口調である。
 舜は、そう言って、親とも思えない若い青年の顔を睨んでいる。
 さっきからこの少年は、この陰鬱な岩山を下りて、街へ行ってみたい、と言い張っているのだ。
 物心ついた時からこの山しか知らない彼にとって、耳にだけ聞く街の話は、何よりの憧れである。
「うーん……。ぼくはそんな積もりで君に街の話をしてあげた訳ではないのですがねぇ。君は一応、ぼくの後継者ですし、色々なことを知っておいた方がいいかと――」
「なら、直接、街を見に行った方がいいじゃないか」
「うーん……」
 と、また青年は、考え込んだりしている。
 時には、こうして考え込むことが数カ月にも及んでしまうのだから、若い舜としては、待っていられない。もちろん、若さに任せて勝手に飛び出してしまえばいいようなものなのだが、力の差があり過ぎて、それは適わない夢となっている。逃げ出すことを試みたことがない訳ではないのだ、舜にしても。
 だが、そのことごとくが、変人たるこの父親によって、阻止されている。
「あのですね、舜くん。君はまだ子供ですし、もう少し親元にいた方がいいのではないか、と思っているのですよ、私は。それに……。言いたくはありませんが、その言葉遣いでは、街の人にも嫌われてしまうでしょうし……。どうして親の私に似ず、そんな乱暴な言葉を使う子供に育ってしまったのでしょうね」
 などと言いながら、黄帝は唇をへの字に曲げている。
「あんたに似ないようにするために決まってるだろっ。その白髪しらがも染めるなよ。あんたに似ていない部分があって、オレは心から喜んでるんだ」
 ふんっ、と鼻を鳴らして、舜は言った。
「君も長く生きれば白髪になりますよ。もちろん、黒髪のままでいることも出来ますけど――。女性の心というのは微妙なもので、自分だけ白髪になって行くのは厭らしいのですよ。君の母親もそうですが、ね。白髪になる前に、皆、私の前から消えて行くのです」
 どうやら、銀髪だと思っていた彼の髪は、ただの白髪であったらしい。
「フンっ。あんたが嫌われて捨てられただけだろーが。オレもあんたを嫌ってるんだから、引き留めずに放っておけばいいじゃないか」
「うーん……。そう言われてもですねぇ、君は私にですから――。君の母親も、私の娘の息子の三番目の娘の――いえ、二番目だったでしょうか――。取り敢えず、私の血を引いてはいますが、君ほど私に近い存在ではなかったのですよ。ですから、追うことも引き留めることもしなかった訳です。それに、彼女は街でも暮らせる人でしたから」
「オレだって暮らせる」
 デンっ、と威張った態度で、舜は言った。
 ここでまた、黄帝は、うーん、と唸るのである。
 月さえ霞んでしまいそうな麗容を持つ青年でありながら、どこまでも惚けた人物なのだ、彼は。
 今も、五色の糸で模様を織り出した深い青灰色のローブを指で弄り、タイトに仕立てた同色の繻子の袖を合わせて、遊んでいる。首にかける、蹲るみずちと珠玉の首飾りも、緑色の極上の組み紐も、一通り、彼の指で弄ばれたものである。
 舜の現代的な格好とは、対照的な装いであった。
 そのローブを弄る指が止まった、と思ったら、スースー、と気持ち良さそうな寝息が、聴こえ始めた。

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