272 / 350
Karte.12 性同一性障害の可不可―違和
性同一性障害の可不可―違和 7
しおりを挟むバイト先から自宅へ戻るために自転車置き場へ向かおうとした時、
「梨花……?」
と、聞き知った声が、背中に届いた。見れば、『Xセオリー』で、割と気の合う話し相手だった紗耶香が、今日は男の姿で立っていた。――いや、彼でなくとも、『Xセオリー』に集う会員のほとんどが、普段は体の性に合った格好で過ごしている。
「紗耶香――」
口に出してそう呼んでから、梨花は慌てて周囲を見回した。お互い、『Xセオリー』での呼び名しか知らないのだが、ここでその名前を呼び合うのは、不似合い過ぎる。今日の梨花は少年、紗耶香は青年の姿をしているのだから。
お互い、それに気づき、それからは名前を呼ぶこともなく、男としての言葉を選んで喋り始めた。梨花も荘司という少年に戻ったのだ。
「学校の帰り?」
「ううん、バイト」
まずは、そんな当たり障りのない会話から始まり、
「最近、Xに来てないよね?」
と、少し紗耶香が踏み込んで来る。大学の帰りなのか、バイトの帰りなのか、ラフなシャツとジーンズは、化粧気のない顔によく似合った。
「精神科に……行ってる」
「え?」
「お金が貯まったら手術できるように」
「ああ、ジェンダー・クリニックのこと?」
「その病院にはないんだけど――。今から精神科で診察を受けていれば、早いうちに日本で手術を受けられるかも知れないから――。だから、Xで使ってたお金は、診察費に取っておかないと」
どうしても話題は、そんなことになってしまう。それが一番の悩みで、関心事項でもあるが所以に。
「そういえば、美野里のこと、聞いた?」
紗耶香の口からその名前が出て、梨花は一瞬、ドキッとした。さっきまで美野里のことを考えていたこともあるし、自身の自傷行為のことを知られているような気がしたからでもある。
何と応えようか迷っていると、
「あっちへ行ってから、全然連絡が取れないらしいよ」
紗耶香が言った。
「え?」
思いもかけないことだった。あの美野里のことだから、きっと日々の体の変化をさぞ自慢げに皆に連絡しているだろう、と思っていたのだ。
「薬の副作用がひどくて、大変なのかもね」
そんな話は、梨花も聞いたことがある。頭痛、悪寒、嘔吐、食欲不振、体重増加――。肝機能や腎機能にも問題が出て、かなり酷い症状を訴える人もいるという。
「無事に帰って来られるのかなァ」
紗耶香の話は、他人事だった。――いや、梨花にしても、ホルモン剤の副作用に関しては耳にしたことがあるが、それは運の悪い人に起こるもので、身近な誰かが苦しむものとは思ってもいなかったのだ。もちろん、自分自身に起こるとも――。
だが、この胸が――自分の胸が膨らんで、柔らかい乳房が形成されるのなら、どんな苦しみでも耐えられる。乳がんのリスクや体の苦痛よりも、この十数年間の心の苦しみの方が、遥かに大きなものなのだから。
「前にも、ヤミで手術を受けた人の話を聞いたことがあるけど――あ、噂だからね。手術後一カ月も痛みに苦しんで、シンガポールで手術をやり直して、それから三カ月たっても頭痛や痛みが続いて、もう一生このままなんじゃないか、って人もいるんだって」
「でも、美野里は圭さんの紹介で……」
「案外、顔を見せなくなった『X』の人たちって、手術の失敗でどうにかなったか自殺したか……みたいな人も、いるかもね」
「……」
――手術の失敗……。
そう。手術という人の手に頼ることなのだから、必ずしも良い結果が得られるとは限らない。自分が思い描いていたものと違う体になったり、重い副作用に苦しみ続けることだって考えられる。
だが、それは海外の知らないところで受けた場合のことであって、この日本で、信頼できる医師の連携のもとに受けたものなら……。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
深見小夜子のいかがお過ごしですか?
花柳 都子
ライト文芸
小説家・深見小夜子の深夜ラジオは「たった一言で世界を変える」と有名。日常のあんなことやこんなこと、深見小夜子の手にかかれば180度見方が変わる。孤独で寂しくて眠れないあなたも、夜更けの静かな時間を共有したいご夫婦も、勉強や遊びに忙しいみんなも、少しだけ耳を傾けてみませんか?安心してください。このラジオはあなたの『主観』を変えるものではありません。「そういう考え方もあるんだな」そんなスタンスで聴いていただきたいお話ばかりです。『あなた』は『あなた』を大事に、だけど決して『あなたはあなただけではない』ことを忘れないでください。
さあ、眠れない夜のお供に、深見小夜子のラジオはいかがですか?
猫と幼なじみ
鏡野ゆう
ライト文芸
まこっちゃんこと真琴と、家族と猫、そして幼なじみの修ちゃんとの日常。
ここに登場する幼なじみの修ちゃんは『帝国海軍の猫大佐』に登場する藤原三佐で、こちらのお話は三佐の若いころのお話となります。藤原三佐は『俺の彼女は中の人』『貴方と二人で臨む海』にもゲストとして登場しています。
※小説家になろうでも公開中※
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
独り日和 ―春夏秋冬―
八雲翔
ライト文芸
主人公は櫻野冬という老女。
彼を取り巻く人と犬と猫の日常を書いたストーリーです。
仕事を探す四十代女性。
子供を一人で育てている未亡人。
元ヤクザ。
冬とひょんなことでの出会いから、
繋がる物語です。
春夏秋冬。
数ヶ月の出会いが一生の家族になる。
そんな冬と彼女を取り巻く人たちを見守ってください。
*この物語はフィクションです。
実在の人物や団体、地名などとは一切関係ありません。
八雲翔
美少女邪神がナビゲート 魔界からのエクシダス!
エンリケ
ライト文芸
ネズミの獣人・プールは貧乏派遣社員。 「なにがやりたいのかわからない」悩みに苦しみ、沸き立つ怒りに翻弄され、自分も人も許せずに身悶える毎日。 暗く糸をひく日常に突然、暗黒邪神が降ってきた! 邪神曰く、「お前は魔王になれ!」 プールは魔王になれるのか? いやそれ以前に、「人としての普通」「怒りのない日々」「愛とか幸せとかの実感」にたどり着けるのか? 世にありふれてる「成功法則」以前の状況を作者の実体験と実践を元に描く泥沼脱出奮闘記。 もしどなたかの足場のひとつになれれば幸いでございます。
小説家になろう、カクヨムにも重複投稿しております。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる