可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.11 黒魔術の可不可―悪魔

黒魔術の可不可―悪魔 13

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 新しい週が始まり、この週の診察に静谷章吾の姿はなかった。訪れたのは、妻の夕子だけだったのだ。
 静谷は仕事も休んでいるらしく、今日の診察も、「行きたくない」ということで、仕方なく夕子一人が来たらしい。
 もちろん、隣家の由利望に何かされた、という訳ではないし、彼自身の思い込みによる妄想が酷くなっているのかも知れない。
 西洋文化の集いに参加した仁の話では、教養と知性を兼ね備えた、洒落た会話の似合う人物だったらしいのだが。
 そして仁は、今週末もまた、由利の家に行く約束をしているという。その時に持って行こうと思っている本を、せっせと本棚から探していた。ついでに、今度は手料理も持って行くらしく、その気合の入りようと言ったら……。
「――会社を休む切っ掛け、みたいなものはありましたか?」
 嫉妬にも似た感情を押し殺すように、春名は夕子に問いかけた。
「いえ……というか、ついにこの日が来たか、みたいな感じで……」
 静谷はずっと由利と顔を合わせたくない、と思っていたのだから、もう我慢の限界に来た、というところなのだろう。
「早い時間に出てバスを変えたりとかは――」
「したんです」
 夕子は言った。
「そうしたら、その日に限ってたまたま由利さんも一本早いそのバスに乗ろうとしていたらしくて、バス停で待っていたあの人の後ろに並んで――」
 では、それが切っ掛けではないのだろうか。
 それとも、もっと何か切っ掛けのようなものがあったが、隠しているとか……。無論、春名に問われてそのことに思い当たった、ということもあるだろうが。
「今思えば、それが原因だったのかも知れません。それからしばらくはいつもの通りに仕事に行っていたので、忘れていましたが」
 まるで春名の疑問を読み取ったかのように、夕子が言った。
 いや、もちろんそれも、夕子が言ったように、たまたま今思い当たっただけのことかも知れない。
 何だか、精神を病んでいるのは静谷章吾の方なのに、いつも奇妙な違和感を感じる。
 だが、今回、仁は何の危険も感じていないようだし――。「嫌な予感がするんです」とでも口にしていたら、決して由利の家にも行かせたりはしなかったが。
 そうなると、特に何か危ないことが起こる、という訳ではないのだろう。この奥さんが夫の病気に疲れ果てて、無理心中を図るとか……。
「ご主人はずっとご自宅に?」
「ええ。会社には一応、週末に風邪をこじらせて、と言ってあります……」
 そんな理由では、せいぜい四、五日休めればいいところだろう。その後はどうするつもりなのだろうか。彼女の口からも、当然その心配が出て来るだろうと思ったのだが。
「――ご主人と何か話をされましたか?」
「いいえ。もう何を話せばいいのか……」
 やはり、これからの不安は出て来ない。
 精神病を発症した患者の家族の不安は、まず、この病気は治るのか、ということ。そして、治療にはどれくらいの期間が必要なのか、ということ。何よりの心配はお金のことである。
 夫が会社に行かないのなら、当然、今後の生活の不安も出て来るだろう。収入が無くなれば、衣食住の問題だって出て来るのだから――。どちらかの実家が資産家で、お金の心配はいらない、というのなら話は別だが。
「ご主人や奥さんのご両親やご兄弟は……」
 それとなく訊いてみると、静谷夕子の実家はマンションやアパートをいくつか持っていて、その家賃収入を含めると、かなり余裕のある暮らしをしているらしい。
 だから、だろうか。静谷夕子がこれからのことをそれほど憂いていないのは――。
 診察が終わり、仁にそのことを話してみると、
「ひょっとして、静谷さんはもう殺されて、庭のどこかに埋められてるとか――」
 と、妻の狂気、殺人説まで持ち出す始末。
 だが、患者本人が診察に来なくなってしまった以上、それが絶対にあり得ないとも言い切れない。夫を殺した後、普段と変わりない生活を続けている主婦がいても全くおかしくないのが、現代社会の病巣の一つでもあるのだから……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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