上 下
235 / 350
Karte.11 黒魔術の可不可―悪魔

黒魔術の可不可―悪魔 1

しおりを挟む


 その患者が言うには――、
「どんどん、どんどん似て来るんです……。本当に、どんどん、どんどん! おかしいでしょう、こんなことって? あいつは、僕の全てを奪うつもりで、僕に近づいて来たに違いないんです!」
 彼は、静谷章吾しずやしょうごという、大手企業に勤める働き盛りのビジネスマンで、今日は妻に連れられて、春名の勤めるこの病院に来たのだった。
 妄想――というものには色々あるが、本来、自分には関係のない出来事を、関係あるかのように結びつけたり、後を付けられているとか、食べ物に毒を入れられただとか、何かを盗まれただとか……所謂、自分が被害を受けた、という妄想が多い。
 もちろん、自分が大変な病気であるとか、犯罪者であるとか、世界が滅びてしまっただとか、自分を否定するものも多いし、全く逆に、自分はある特定の人に愛されているとか、妊娠したとか、本当は高貴な身分の生まれだとか、神の生まれ変わりだとかいう、誇大妄想の場合もある。
 なら、彼、静谷章吾の場合はどうなのだろうか。
「似て来るというのは、行動パターンか何かですか?」
 大抵、郊外の一戸建てに住んでいる人々は、都心に仕事に出るために、同じ時間帯に起き、同じバスや電車に乗って、同じような生活習慣を持っていることが多い。
「全てです! 全て僕の真似をして、僕と同じものを身につけて、僕になり代わろうと狙っているんです!」
 付き合いの長い知人を、よく似ているが全くの別人だと言ったり、周囲の人間全てが、変装をした敵だと言う患者はいるが……。
 これは、敢えて言うなら、フレゴリの錯覚――全く別の人間を、自分の既知の人物と混同する症状、フレゴリ症候群のようなものなのだろうか。
 静谷章吾の話では、男は何の特徴もない、何処にでもいるような――もっと言えば、一度見たくらいでは何の印象にも残らない、ごくごく普通の人物だったらしい。それが、隣に引っ越してきてから数カ月、奇妙なことに、どんどん自分に似て来るのだと言う。
「そう思うようになったのは、いつからですか?」
「思うのではなく、実際にそうなんです!」
「……」
 どうやら、春名に信じてもらえていない、と思ったようである。
 春名は、自他共に優秀であると認める精神科医サイキアリストであり精神分析学者サイコアナリストで、USAで暮らしていたのだが、今はこうして日本へ戻り、開業する訳でもなく、精神病患者を専門に扱う精神病院に勤めるわけでもなく、総合病院の一ユニットで雇われ医者として患者を診ている。もちろん、個人の研究も続けさせてもらい、多少の厚遇も受けているのだが、春名の実績からすれば、もったいない、としか言えないポジションだっただろう。
「すみません」
 春名は謝り、
「似て来た、というのは、奥様から見ても、ですか?」
 と、隣の椅子に腰かける、少し童顔の女性に訊いた。
「はい、それが――」
 妻である静谷夕子が言いかけた時、
「それだけじゃないんです! 自宅には嫌がらせまであって、この間は玄関先にオタマジャクシが三匹投げ込まれていて――。おかしいでしょ? 完全におかしい人間のすることでしょ? 常識を持っている人間なら、こんなことなんかしないですよね?」
 夫の静谷章吾がそれを遮り、お構いなしで自分の言い分をぶちまける。
 どうやら、自分が精神病になってここへ来た、と言うのではなく、隣の住人を精神病者だと認めてもらいたくて来たらしい。
「お話だけでは何とも……」
「おたまじゃくしですよ? いい年をした大人がわざわざ田んぼかどこかで捕まえて来て、他人の家に撒いたんですよ。正常な人間のすることじゃないんです!」
 静谷章吾の声はだんだん高くなって行き、隣人への不満と、自分の身の回りで起こっていることへの一方的な関連付け、そして、思い込みと憶測の域を出ない話のままに、診療時間が終わってしまった。
 もちろん、春名としては他のことも聞きたかったし、妻である夕子の話も聞きたかったのだが、後の患者を長時間待たせておくわけにもいかないので、仕方なく今日は話を切ったのだ。
 他の科なら、時間は大した問題ではないのかも知れないが、精神科では、待てない患者を含め、一人に特別長い時間をかけることは出来ない。他の患者への影響はもちろん、当該患者への特別意識を与えることにも繋がってしまう。
 もちろん、いつもそんな杓子定規的な診療にこだわっている訳ではないのだが……。


しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...