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Karte.10 天才児の可不可―孤独

天才児の可不可―孤独 11

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 日本語が解らないのは腹が立ったので、暁春はその日から早速、勉強を始めた。
 PCと向き合うことは苦痛ではなかったし、一つ目的が出来たことも、いい退屈しのぎになった。
 もちろん、春名というあの日本人精神科医は、暁春を馬鹿にするために日本語を使ったわけではないだろうが、ギフテッドの生徒の上に立つために、暁春が解らないであろう日本語を使ったということは考えられる。
 どちらにしても、このまま解らないことを放置するのは、精神科医に見下されているようで嫌だった。
 後になって思えば、最初からすっかり、春名の思惑に嵌っていたのかも知れない。
 だが、この時は、『日本語を覚える』という新しい目標に夢中になり、そんなことも考えられないくらい、日本語の勉強を楽しんだりしていたのだ。
 そして、短期間で日本語をマスターし、一人、悦に入っていた。
 次に春名が来る日が待ち遠しくもあった。
 これほどの短期間で、暁春が完璧な日本語を話すようになったら、きっと敗北感で一杯になり、他のカウンセラーやセラピストがそうであったように、暁春に一目置くようになるだろう。それだけでなく、暁春に苦手意識を持って、自信を失くし、もう二度と来なくなるかも知れない。
 それは、暁春の勝利を示すことでもあり、ここでのささやかな抵抗でもあった。
 もちろん、そんな抵抗はすぐに終わりを迎えてしまう。そしてまた、新しい精神科医が訪れ、同じ抵抗が始まるだけのことなのだが……。
 とにかく今は、春名がここへ訪れ、また同じように、
「調子はどうだい、仁くん?」
 と、日本語で問いかけて来たら、
「お陰さまで、精神科医は必要じゃない」
 と、日本語で返してやるのが楽しみだった。
 楽しみ、と言っても、決してあの精神科医と話がしたい訳ではない。あくまでも日本語が出来ることを見せつけてやりたいだけの楽しみだから、その後、ここへ来なくなろうと……構わない。また、元の通りの退屈で、つまらない日常に戻るだけなのだから……。
「――猫が……なんだって……」
 不意に、またそんな会話が聞こえて来て、暁春はハッと顔を上げた。
 このところ、日本語の勉強で忘れていたが、猫はまだ殺され続けているのだろうか。
 人間と違って、損得で近づいて来たり、離れて行ったりしない動物は、暁春が警戒しなくて済む、安心できる生き物だった。もちろん、母親と二人の生活では飼ったこともないし、時々、散歩をさせてもらっている犬や、気ままに出歩いている猫を眺めるくらいだが、それでも彼らと目が合うと、何だかその日は嬉しかった。
 ――この能力のことは誰にも言わないと決めたけど……。
 一人で調べ、先生にも誰にも言わず、犯人を問い詰めて猫殺しをやめさせるだけなら……。
 暁春は心の中でそう決意をすると、ケヴィンのいるクラスへと足を向けた。
 猫がまた殺されたのなら、あの日のように、ケヴィンの手に血が視えるかも知れない、と思ったのだ。
「――ケヴィン、いるかな?」
 クラスの入り口近くにいる生徒に声をかけると、少し胡散臭そうな眼で見られたが、そんなことは慣れている。別のクラスの――しかも、親しくもなさそうな生徒が声をかけてきたら、不審にも思うだろう。暁春だってそうなのだから。
「おい、ケヴィン!」
 その生徒が呼ぶと、机に腰掛けて、クラスメイトと喋っていたケヴィンが、顔を向けた。暁春の姿を見て、少し戸惑っているようだったが、
「なんだ、編入生か」
 と、お喋りをやめて、やって来る。
 その手には、血は全く付いていなかった。――いや、今日の暁春には視えなかった、と言った方がいいだろうか。いつも視える訳ではないから、今視えないことが、彼が犯人でない、という確証にはならない。
「最近、猫がよく死んでるんだ」
 暁春は言った。
 ケヴィンの表情は変わらない。――いや、当たり前の変化しか見受けられない。
「え? あ、ああ。そういや、この間、校庭で死んでたとか、そんな話を聞いたな」
 と、眉間に嫌悪の皺を寄せる。もちろん、猫の死骸への嫌悪ではなく、そんなことをする人間への嫌悪だろう。そう思っていたのだが、
「で? うちのソロモンかと思って心配でもしたのか?」
 彼はどうやら、暁春の言わんとするところも解っていないようで、そう訊いた。
 この反応は、どう受け取っていいのだろうか。
「違うよ。君が殺したのかと思ったんだ」


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