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Karte.10 天才児の可不可―孤独
天才児の可不可―孤独 9
しおりを挟む視えるものを無視し、ドクター・ニコルズに何を言われようと、宥めすかされようと、決して実験には手を貸さず、血が視えることも、悪い予感を感じることがあることも、この先、二度と口にしないと心に誓った。
それが、二日前――。
額の傷の縫合部の消毒とガーゼ交換に、母親と共に病院に訪れた時、暁春は、自分に視えるものと直感に、そんな誓いのことも忘れていた。
母親は、診察カードを通して、今日の処置の順番を待っている。
今でこそ、消毒薬は善い菌まで殺してしまう、として使わなかったり、ガーゼ交換や包帯交換は形成されかけている上皮を剥がしてしまう、として頻回に行われなかったりするが、この頃はまだ、創傷部を清潔に保つための処置が常識だったのだ。
朝の病院は、たくさんの患者で溢れていて――。
その中、どこか一般の患者たちとは雰囲気の違う――挙動不審で、自分の行き先が判らない、といった風の男の姿が目に止まった。院内の案内板を前にして、入院患者のいる病棟へ行きたいのか、右手の人差し指を持ち上げて、案内板をなぞっている。
そして、その指先には、たった今付けられたような、深紅の血が濡れ光っていた。――いや、その血は、暁春だけに視えたものだったのだが。
――あの男……。
暁春には、解った。
あれが、二日前に母親を車で撥ねて、逃走した犯人であると――。
何故、と訊かれても、そう思うから、としか言えなかったが、間違っているとは思わなかった。
だから、言ってしまったのだ。
「あの人が、ぼくのおかあさんをひき逃げした犯人だ!」
と……。
小さな子供の突然の指摘は、最初、周囲の人々にそれほどの衝撃を与えなかったが、犯人だと指摘された当人――挙動不審の男が、慌ててその場を駆け出したため、院内はその後、騒然となった。
半信半疑どころか、突然何を言い出すんだ、というような顔をしていた大人たちが、それが真実である、と判断したのだ。そして、口々に、叫び始めた。
「捕まえろ!」
「警察に通報だ!」
「危ないぞ、追い駆けるな! 監視カメラの映像がある!」
結局、男は病院の外に逃げ出したが、監視カメラに映った姿から、身元が割れて捕まった。
気の弱そうな男だった。
だから、事故を起こして逃げてしまったのだろうが、男の供述によると、撥ねて一旦は車を止めて、撥ねた相手の様子を見に戻ったらしい。すぐに救急車を呼べば良かったのだろうが、頭部から流れ出す血と、ぐったりとして身動きしない母親の様子に怖くなり、周囲に誰もいないことを幸いに、そのまま逃げだしてしまったのだと言う。
その時、男の手には、母親に声をかける際についた赤い血が、暁春の証言通りに付いていた。
そして、母親の連絡を受けて駆けつけて来たドクター・ニコルズは、警察関係者に誇らしげに言ったのだ。
「この子の能力は本物です。証言に間違いはありません。彼には二日前に付いた血が――すでに洗い流されていて見えないはずの血が、視えたのです」
「……」
警官たちは戸惑っていたが、偉い学者先生の言葉でもあり、何より、母親をひき逃げした犯人が自供していたため、馬鹿馬鹿しい、と一笑に付されることはなかった。
お陰で、暁春もあれこれと訊かれたりすることもなく、その場だけは笑い飛ばされることもなく、頭がおかしい、と馬鹿にされることもなく、平穏に終わった。
だが、母親は――。
その時の母親の顔は、この先、どれほどの歳月が経とうと、忘れることはないだろう。
まるで、知らない人間を見るように――接し方すら解らない、といった不安な顔をして、暁春を見ていたこの日のことを……。
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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
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