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Karte.10 天才児の可不可―孤独
天才児の可不可―孤独 6
しおりを挟む「どうしたの? 早く食べないと学校に遅れるわよ」
学校が少し遠くなってしまったこともあって、仕事に行く前に朝食の支度や洗濯、後片付け……それらを済ませて、暁春をスクールバスの乗り場まで送って行かなくては、と思うのだろう。気の急いた母親が、ついそんな言葉を口にしてしまうのも、仕方のないことだった。
「……今日は一人で行く」
暁春が言うと、
「何馬鹿なことを言ってるの。片付かないから、早く食べてちょうだい」
「でも――」
「食・べ・る!」
この時間は、子供に朝ご飯を食べさせるのに必死なのだ。――いや、何とか片付けまで済ませて、家を出ることに。
今、片付けておかなければ、朝食の洗い物は、夕方帰って来るまで、台所に放っておかれてしまうことになるのだから。
そんな訳で母親の方は、取り敢えず自分の身支度を整えている。
暁春はパンを口に詰め込み、ミルクで何とか流し込むと、
「出かけちゃダメだよ」
と、小さく言った。
「ん? 何か言った?」
「かーさんは出かけちゃダメだよ」
言葉に出来ない胸騒ぎを抱えて、暁春は言った。
「何を言ってるの、この子は」
「ダメだよ。行かないで……。行っちゃダメだよ」
暁春は、空の食器を流しに置いて、母親にすがった。
「ほら、手を放して」
「だって、悪いことが――」
「またそんな気味の悪いことを! いい加減にしなさいっ」
「え……?」
――気味が……悪い?
喉に氷の刃を突き付けられたような衝撃だった。自分の言葉を、母親がそんなふうに感じていたなど、今まで思ったこともなかったのだ。人前で言ってはいけない、と窘められたことはあっても、まさか、そんな風に思われていたなどとは……。
もし、暁春がもう少し大人で、相手の立場に立って考えることが出来る経験値を持っていたなら、この時の母親が、『早く暁春を学校に送って行かなくてはならない、と焦っていたから――。自分の仕事に遅れないようにしなくては、と気持ちが急いていたから――、ついそんな言葉を吐いてしまったのだ』、という風に思うことが出来ていたかも知れない。
もしくは、もっと幼い思考しか持っていなかったとしたら、『本気でぼくのことをそんなふうに思ってるの?』と、訊き返すことが出来ていたかも知れない……。
だが、この時の暁春は、そのどちらでもなかった。
言葉通りに――まともに傷ついてしまうほど真っ直ぐに、その母親の言葉を受け止めていたのだ。
――かーさんは……。
足元から、ガラスが砕けて行くのにも似て、冷たくなる四肢から、凍って壊れて行くような気が、した。
――かーさんは……ぼくが気味悪い……。
黙ることで、傷つくことに鈍感になっていた暁春だったが、唯一、何でも話していた母親の言葉には、鈍感になることは出来なかった。
そしてそれは、今まで受けて来て、気付かないフリをして来た傷のことも、気付かせてしまうことになった。
毎日、毎日、実験動物のように試される能力テストも、暁春のIQの高さを自分のことのように誇る学者たちの傲慢さも、何もかもが暁春の心を引き裂いた。
胸が痛くて、心が凍って、自分では最早どうしようもなかった。
我慢して呑み込んだ涙が、傷に沁みて、痛かった……。
――ぼくは、気味が悪い子供なんだ……。
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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
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