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Karte.9 民俗学の可不可―奇習

民俗学の可不可―奇習 20

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 能年の家に戻り、仁が最初に聞いたのは、
「道が塞がって町に出られない……?」
「そうなんだ。二次災害の危険が無くなったら、土砂の撤去作業が始まるらしいんだが」
 春名はそう言って、肩を竦めた。
 予想外の展開である。というか、ロシアでの不運からして、自分たちが土砂崩れに巻き込まれなくて良かった、と安堵すべきだろうか。
「じゃあ、それまでは交番も空のままで、ぼくたちはここから出られないんですね?」
 仁は結局、沼尾匡の財布を拾った件も、行方が判らない件も、警察に届けることが出来なかった顛末に不安を覚えた。
 もちろんそれは、いつもの得体の知れない予感ではなく、この今の状況を危惧する不安なのだが。
「とにかく、今日は離れを貸してもらえることになったから――」
「離れ――ですか!」
 春名の言葉に、仁はさっきの男たちの会話を思い出して、つい、いつもより高い声で問い返してしまった。
『じゃあ、赤飯も鷲見の分だけしかないし、離れにも行けないんだな……?』
 あの垣根の向こうにいた男たちは、そう言っていたのだ。
 なら、自分たちが離れを使う今夜は、サラサはこの村の男たちの性欲から守られることになる。
 もちろん、サラサが鷲見との結婚を承諾すれば、この先も夜這などという風習とは無縁の暮らしをして行けるのだが。
 だから、サラサの母親は、『その方がサラサのためだ』と言ったのだ。
「先生、ちょっといいですか」
 仁は小声で春名を促すと、母屋とは別棟として建つ離れの方へと歩き出した。
 そこは、すでに手入れもされていて、布団も運び込んである。平屋で風通しも良く、台所や居間に隣接していない生活感のなさは、旅館の一室を見るようだった。
 そこで、
「実は、さっき……」
 仁は、一人で奥美里を歩いている時に耳にした会話を、離れで春名にも話して聞かせた。
「――だから、彼女はこの村から出て行きたがっていたんです」
 そこまで話すと、
「なるほど……」
 春名は考えるようにうなずき、
「資産家の家では相続が絡んで来るから、父親がはっきりしない奥美里の風習はご法度なんだろう」
「今どき、こんな風習があるなんて……」
「田舎だからな」
「そんな言葉で片付けていいんですか? 女の子に初潮が来たら、町中に赤飯を配ってみんなに知らせて離れを用意するなんて、酷いじゃないですか」
「ここはそういう風習で成り立っているんだよ。その代わりに女の子の方は希望の相手を自分の夫として指名できる。――そうだろ?」
「でも、誰の子か解らない子を身ごもるんですよ」
「だから、夜這に行った男は、指名されなくてもずっと面倒を見続けるんだよ。野菜を持って行ったり、共同で農器具を購入したり――。そうやって、この町の子供をみんなで育てて行くんだ」
「……。ここではそれが正しいことなんですか?」
「そういう訳じゃない。ただ、他所者が何を言っても聞き入れられないだろうし、誰もそんな風習があることを認めないだろう」
「……」
 確かに春名の言う通りには違いないが、サラサがそれを厭がっていることを知った今は、どうしても知らん顔をして納得できない。
 それに、あの男たちの話では、すでに結婚している『いい年の』父親と呼べる世代の人々までもが、赤飯が配られるのを楽しみにして、夜這をかけに行っているらしい。
 田舎の人々に性欲がないとは思わないし、都会のように性風俗を満たす場がないことも解ってはいるが、それでも、相手が望んでいないことなら、正しいことであるはずがない。
「ぼく、やっぱり我慢出来ません」
「法やマスコミに訴えるのか?」
「――」
 その春名の言葉に意地の悪いものを感じて、仁はグッと言葉に詰まった。
「笙子に住所を尋ねられたたばこ屋の老婆や食堂のおばさんが、なぜ於地村のことを知らないと言ったのか、もう解っただろう? 俺たちのような他所者が、この村の奇習を知ったら、世間に公表して騒ぎになるかも知れない、と警戒したからだよ」
「それは……」
 自分たちが招かれざる客であったことは、解っている。
 サラサがわざわざメモを渡したのも、自分が呼んだと思われると、やはり困ったことになるからだろう。
 そして、もう一つ、心に引っかかっていること――。
「もしかすると、笙子先生の元恋人も、この村の奇習を……」
「いい加減その呼び方はやめて、『沼尾匡』でいいだろ?」


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