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Karte.9 民俗学の可不可―奇習

民俗学の可不可―奇習 18

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「奥美里から出られない?」
 春名が能年の家に戻って聞いたのは、そんな予想もしない言葉だった。
「さっきの雨で土砂が崩れて、美里に出る道が塞がっているんですって――。良かったわ、もしサラサが帰って来る時間とぶつかっていたらと思うと……」
 能年澄江は、我が子が難を逃れたことと、突然の災害に気持ちが高揚しているのか、誰かと話がしたくて仕方がない様子だった。
 だが、春名の方は、絶句である。
 これでは図書館に行くどころか、家にだって帰れない。何しろ、この小さな集落から出ることが出来なくなってしまったのだから。
「道はいつ通れるようになるんですか?」
 そう訊いても、
「さあ。二次災害の危険がなくなってから撤去作業をするそうだから、まだ判らないんじゃないかしら」
 家屋や身内が被害を受けた訳ではないこともあって、澄江の言葉はのんびりとしていた。無関心、と言ってもいいかも知れない。
 合併して美里町になったとはいえ、奥美里は奥美里として独立した自治を持っているから、あまり危機や不便を感じることもないのだろう。
 だが、春名は困ってしまう。
「あの……、この辺りにホテルや旅館は……?」
 一応、わらにもすがるような思いで、訊いてみる。
「こんな何もない田舎に、そんなものはないですよ」
 ――やっぱり。
 それなら……。
「すみません。あのォ、瓦礫の撤去が日をまたぐようなら、空いている部屋をお借りしたいのですが……。もちろん、代金は払います」
 一度は沼尾匡の件で責め立てた相手に、今度は頼みごとをする、というのも、結構、勇気がいる。
「――主人に訊いてみないと」
 やはり、ていのいい断り文句でその場をやり過ごされ、今晩はあの農具小屋で野宿か……と思っていた時、
「離れに泊ってもらえばいいじゃない」
 いつ戻って来たのか、二人のいる台所に続く部屋の前に立って、サラサが言った。
「サラサ――」
「私は自分の部屋で寝るから」
 そう言うと、不満をぶつけるように翻り、にこりともせずに去って行った。
「……」
 何か込み入った事情があるようだが、やはり、今の立場では訊くに訊けない。またとない助け舟ではあるのだが……。
「春名さん」
 能年澄江が、春名を見据えた。
「――はい」
「都会の方にはお解りにならないでしょうが、田舎には田舎のきまりがあるんです。立ち入らないと約束していただけるのなら、主人にも頼んでみます」
 あからさまな取引だった。
 沼尾の屋敷で聞いた《風習》といい、澄江の口にした《きまり》といい、何かよからぬことのような気がして仕方がない。
 ここでうなずくのは簡単だが、沼尾の件を追求せずに済ませてしまうのも……。いや、本来それは警察の仕事なのだから、春名や仁が立ち入ることではないのかも知れない。
 だが、財布を拾った、というだけで、死体も見つかっていない人間のことを、警察が真剣に調べてくれるだろうか。大の大人で、自分から姿を暗ませただけかも知れない、というのに――。
 ならば、今必要なのは、時間と寝床である。
 沼尾の足取りが掴めるまでの時間と、土砂が撤去されるまでの衣食住を確保しておかなければ――。
「解りました。お世話になっている間は何も訊きません」
 春名はその取り引きを承諾した。


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