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Karte.9 民俗学の可不可―奇習

民俗学の可不可―奇習 13

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 すぐに警察に行きたいのは山々だったが、何しろ春名は泥だらけで、泥水は下着にまで浸み込んで冷たいし、先にサラサの家にお邪魔して、外水道で泥を落としてから、風呂場を貸してもらうことにした。
 もちろん、他所から来た春名と仁のことをサラサの両親は不躾な顔で見ていたし、不審そうな顔もしていたが、医者という社会的身分と、追い返すことも出来ない春名の泥だらけの姿を不憫に思ってくれたのか、渋々、風呂を沸かしてくれた。
 そのサラサの両親の気持ちもよく解る。春名だって、いきなり知らない人間が訪ねて来て、泥だらけで風呂を貸してくれ、と言われたら、すぐには承知できないだろう。
 ホテルか旅館でもあれば、そこに部屋を用意してもらうのだが、こんな観光名所でもない小さな村に、そんなものがあるはずもない。交番は一応あるらしいが、ほぼ空き交番状態で、美里町内まで行かないと、警官が常駐している交番はないという。
「散々だな……」
 熱い湯に浸かりながら、春名は独り文句を言った。
「聞こえてますよ」
 磨りガラスの引き戸一枚隔てた洗面所から、春名の服を洗う水を止めて、仁が言った。
「はい、もう言いません」
 泥だらけの服を洗ってもらっているのだから、逆らえない。
「でも、彼女、似てないですよね」
 少し小声で、仁が言った。
「まあ、子供が全て親に似るものでもないし……」
 それは春名も気付いていた。
 最初、玄関に出て来た母親の姿を見た時は、あまり似ている部分がなかったために、きっと父親似なのだろう、と思っていたが、奥の部屋にいた父親は、母親以上にサラサに似た部分が見当たらなかった。
 その辺りが、サラサが鷲見家の息子と結婚させられる理由の一つにもなっているのだろうか。
「――彼女が財布の話をした時の母親の顔、気になりませんか?」
 今度は、かなり抑えた声だった。
 確かに、沼尾の財布が用水路に落ちていた、とサラサから聞いた母親の顔は、驚きの色が隠せなくて、動揺しているように見えた。
「ああ。何か知っているのかも知れない」
 ――いや、間違いなく知っているだろう。
「だが、それは警察に任せよう」
 春名は言った。
 自分たちはこの村の部外者でしかないし、もし、沼尾が何かの事件に巻き込まれたのだとしたら、今度は仁が同じ目に遭うかも知れない。それだけは避けたかった。
 だが、当の仁は、そんな春名の心もつゆ知らず、
「ぼく、代わりの服を貸してもらうついでに、話を聞いて来ます」
 と、洗い終えたらしい服を持って、磨りガラスの先に消えてしまった。
「おい、仁くん!」
 ――話を聞く前に、服を貸してもらってくれ!
 ではなく、一人で勝手なことをするな、と叫びたかったが、足音はすでに遠く聞こえなくなっていた。
 今回は本当に、やけに張りきっている。
 こうなると、春名もゆったりと風呂に浸かっている場合ではない。
 湯船を後に、磨りガラスの引き戸を開ける――と、そこには、
「きゃあっ!」
「うわっ、すまない」
 運悪く、代わりの服を持って来てくれたサラサがいて、春名は再び磨りガラスを閉めるハメになったのである。
「ご、ごめんなさい! 着替え、ここに置きます」
「あ、ありがとう」
 バタバタバタ――と、走り去る足音に、罪悪感が募る。
 女の子のいる家で、不注意にも程がある――と、仁がいたなら怒られていたところである。
 春名は、今度こそ誰もいないか聞き耳を立て、それからゆっくり風呂場の引き戸を開けたのだった……。


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