可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.9 民俗学の可不可―奇習

民俗学の可不可―奇習 12

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 結局、懸命なサラサの懇願を断ることも出来ず、取り敢えず家にお邪魔することにしたのだが、雨上がりの田舎道はぬかるんでいて、
「うわっ!」
 春名は見事に足を取られ、滑って、転んで、泥だらけになってしまったのである……。
 バスの通る市道は舗装されているのだが、一歩脇へ入ると、まだまだ未舗装の田舎道が多いのだ。
「あーあ、大丈夫ですか、先生? これじゃあ、どの道、彼女の家で水道を貸してもらわないと、バスにも電車にも乗れないですよ」
 あまり乗り気ではなかった春名の背を押す出来事に、仁が得意満面に(春名にはそう見えた)言葉を向けた。
 サラサの方は、
「大丈夫ですか? 顔にまで泥が跳んでますよ」
「……」
 これでは、若者に気遣われる老人である。
「悪いが、家に着いたら泥を落とさせてくれ」
 春名はがっくりと肩を落とし、取り敢えず泥だらけの手を田んぼの脇の用水路で洗った。大量の雨が降った後であったため、水は手を洗えるほどに流れていたのだ。
 そして――。
「何だ、これは?」
 手に当たったモノを拾い上げ、春名はどうみても財布らしきものに、眉を寄せた。
 この雨による水の増水で、どこかから流されて来たのかも知れない。
「転んでもただでは起きないんですね」
 運良く――かどうか、財布を拾った春名に、仁が言う。
 その皮肉と、お尻の冷たさは気になったが、
「結構、高価そうな財布だな」
 誰もが知っているブランドもので、型は古いが、こんな田舎街には不似合いに見えた。――もちろん、この村の人が市街地にブランド品を買いに行って、高級な財布を買い求めることだってあるだろうが。
 二つ折りのブランド財布を開いてみると、免許証が入っているのが目についた。
 失くした人は困っているだろう。
 見ようと思って見た訳ではないが、カード入れから覗いている免許証には、当然、一番上に本人の名前が記されていて――。
「先生、それって――!」
 仁が思わず声を上げた。
「ああ」
 財布の中の免許証には、『沼尾匡』の名が刻まれていた。
「どうしてこんなところに……」
 サラサの話では、沼尾匡はもうこの村を出て行った、ということだったのに。
 だが、バスにしろ、電車にしろ、財布がなければ乗ることは出来ない。当人も無一文では困るだろう。見たところ、財布には免許証だけでなく、カードの類も入っている。
 帰ろうとすれば、失くしたことには、すぐに気付いたはずである。それでいて、村に戻って来ることもなく、そのまま姿を消したのだとしたら……。
「警察に連絡した方がいいかもしれないな、これは」
 春名は言った。
 財布を残して当人が消える理由は、考えたくはないが、最悪のことも推測出来る。
「沼尾さん、まだここにいるんですか?」
 サラサが訊いた。
 彼女には、平和な田舎町で何か事件が起こる、などということは考えられないのかも知れない。
「ここにいないことを願うよ」
 まず無理な願いだろう、と思いながら、春名は言った。
 仁も、
「笙子先生、ショックでしょうね……」
 と、春名の願いが届かないであろうことを知るように、呟く。
「とにかく――尻が冷たいなぁ……」


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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