可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

文字の大きさ
上 下
183 / 350
Karte.9 民俗学の可不可―奇習

民俗学の可不可―奇習 5

しおりを挟む


「だから、話を聞くのは嫌だったんだよ……」
 笙子の話をほぼ無視して、興味のない顔で夕飯を食べていた理由を口に出し、春名は、そよそよと気持ちいい風の吹き抜ける駅舎に降り立った。
 ここは、昨日、笙子が訪れて、何の収穫もなく戻ることになってしまった、美里駅のホームである。
 改札を抜けると、本当に地元の人しか乗り降りしないであろう、と思える閑散とした駅前通り。
 右手にあるのが、老婆のいるたばこ屋で、向かいの食堂が、笙子が二番目に住所を訊ねた○○食堂。ここも、のれんが掛かっているだけで、他所から来た客を誘致しよう、という心意気は微塵もない。
 いや、こんなところに、観光で来る客もいないだろうが……。
「さあ、さっさと用を済ませて、帰りは途中下車して温泉にでも寄って帰ろう」
 列車での疲れを癒すように体を伸ばして、春名は言った。
 今の時期なら、予約がなくても空いている宿があるに違いない。
「それもいいですね。――ええと、バスは……」
 目の前に立っているバス停の時刻表と、あらかじめ調べて来た手元の時刻表を見比べながら、
「鉄道に合わせて、すぐにありますよ」
 仁は言った。
 停留所の時刻表は古いが、時間に変化はないらしい。
 今日は平日で、列車から降りて来た人たちも、春名や仁の他にもいて――といっても、たった二人。通勤、通学時間でなければ、ほとんどいないに等しい。
 どちらもバスには乗らないようで、停留所を素通りし、自転車置き場と駅前通りに消えて行った。
「……。よく潰れないな、このバス会社は」
 都会は、電車もバスもぎゅうぎゅう詰めだというのに。
 だが結局、鉄道の時間に合わせてあるはずのバスが来たのは、十分を過ぎた頃だった。
「バスまでのんびりしてるのか、田舎は」
「先生! いいじゃないですか、十分くらい。ちょっと道が混んでたら、これくらい遅れますよ」
 何しろ、都会のように五分間隔で次々にバスが走っている訳ではないのだから。
「どこに混むような道があるんだ?」
 せっかくの休暇を潰された春名の不満は、まだ解消されない。
 二人でそんな不毛な会話をしていると、
「あの……」
 と、ガラガラのバスの一席に座っていた少女が側に来て、
「すみません。バスが遅れたのは私のせいなんです。学校に忘れ物をしたのを取りに戻る間、待っていてもらって……」
 と、申し訳なさそうに眉を落とした。
「え? あ――」
「いつも知った人しか乗ってないから、この辺りではそんなことも当たり前で……。すみませんでした」
 と、頭を下げる。
 これには、さすがの春名も不満を引っ込めるどころか、自分の懐の狭さを恥じるしかなく、
「い、いや、そんなつもりじゃ――。ここへは無理やり連れて来られたようなものだから、不満の一つも零したくなっただけで……」
 バツが悪いこと、この上ない。
 第一、これが東京のど真ん中だとしたら、自分のせいでバスが遅れても、知らん顔をして乗っている人間がほとんどだろう。
 彼女のように、わざわざ席を立って謝りに来るなど、この田舎の空気の美しさに育まれて過ごしたからこそ形成された人格であるとしか――いやいや、ここへ来てまで、職業病を持ちだしてはいけない。
 今は、自分の失態を恥じること。
 そして、彼女の心の美しさを素直に感じること。
「とにかく座って――。バスが揺れると危ない」
 春名は、通路を挟んで隣の席に促した。
 もちろん、バスの運転手にしても、彼女が席を立ったことには気づいていて、さっきからスピードを落としているのだが。
 都会ではマイクで注意されるだけだが、ここでは、そんな気遣いが当たり前に行われているのだ。
 そして、誰もそのことに文句を言わない。
 皆が皆のことを知っているからこそ、そういう思いやりも出て来るのだろう。


しおりを挟む
参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

寝させたい兄と夜更かしの妹(フリー台本)

ライト文芸
夜更かして朝おきられない妹に、心配でなんとか規則正しい生活をして欲しい兄だが…

フリー台詞・台本集

小夜時雨
ライト文芸
 フリーの台詞や台本を置いています。ご自由にお使いください。 人称を変えたり、語尾を変えるなどOKです。 題名の横に、構成人数や男女といった表示がありますが、一人二役でも、男二人、女二人、など好きなように組み合わせてもらっても構いません。  また、許可を取らなくても構いませんが、動画にしたり、配信した場合は聴きに行ってみたいので、教えてもらえるとすごく嬉しいです!また、使用する際はリンクを貼ってください。 ※二次配布や自作発言は禁止ですのでお願いします。

処理中です...