可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.9 民俗学の可不可―奇習

民俗学の可不可―奇習 4

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「だいたい、人が相談してるのに、さっきから知らん顔で――。もっと真剣に考えてくれたっていいじゃない」
 春名の態度に、笙子は睨みつけるようにして、文句を言った。
 すると――。
「もしかして、笙子先生が大学時代の恋人に呼ばれて、そんな田舎まで飛んで行ったのが気に入らないんじゃないですか?」
 意味ありげな視線で、仁が言う。
「ばっ――。そんなわけ――」
「まあっ、そうなの! 可愛い! ヤキモチを妬いてたのね!」
「ちが――」
「往生際が悪いですよ、先生」
「仁くん――」
「大丈夫よ。ただしと恋人同士だったのは大学時代だけで、それからはもうずっと会ってなかったんだから。――で、二週間前に偶然会って、少し話をしただけなのよ」
 その時にクリニックの名刺を渡したから、その住所を見て、笙子に手紙を出したのだろう。
 春名の方は、もう否定する気力もないようで、ブスっとお茶を啜っている。
「――でも、それならどうして、匡は十年も前に廃村になった村の名前を、手紙に書いて寄越したのかしら?」
 笙子は、その疑問を口にした。
 助けて、と言っておきながら、古い住所を書いたのでは、笙子が戸惑うことは目に見えている。
「町の人が『そんな村はない』と応えるとは思っていなかったとか」
 仁が言うと、
「もっと単純明快な理由があるだろ?」
 春名がくたびれたように、遅いエンジンをかけ出した。
 仁はそれですぐに解ったようで、
「あっ!」
 と一言、声を上げたが、笙子は、
「単純明快? 持っていた地図や資料が古かったとか?」
 民俗学で古い伝承を調べていたのなら、そんなこともあるかも知れない。
「いや、もっと単純なことだ」
 春名はそう言うと、笙子の土産の煙草を一本銜え、少し不満そうな顔をしながら、
「もう十年以上田舎に帰っていなかったから、古い住所しか覚えていなかったんだよ」
「……」
 言われてみれば、至極単純で明快な理由である。




 その村が、沼尾の生まれ育った故郷であったのだとしたら――そして、十年以上、里帰りをしていなかったのだとしたら、今はもう存在しない村の名前を書いてしまったとしても、不思議ではない。
 筆不精な男の常として、実家にも手紙など送ってはいなかっただろうから。
「じゃあ、やっぱり行かなくちゃ」
 笙子は、助けを求めて来た沼尾の精神状態を案じて、席を立った。
「でも、明日は月曜日ですよ。笙子先生、クリニックがあるんじゃないですか? 今から夜行でいっても、明日の診療時間までには……」
 そう、帰れない。
 クリニックは半年先まで予約で一杯だし、今から予約変更の連絡もしていられない。
「だから、あなたたちに相談したの。――休暇よね、明日から?」
 確信犯的な笙子の言葉に、
「おい! 俺は夏中休みなく働いて、結局、今年はバカンスにも行けず、やっとこの時期になって取れた夏休みなんだぞ」
 ゆっくり休ませてくれ、とでも言うように、不満を露わに春名は言った。
 こちらはこちらで、予定していた夏休み前に、緊急入院が必要な患者が警察に保護されて連れて来られて、「じゃあ、入院は受けたけど、後はよろしく」と、他の医師に割り振って休んでしまう訳にも行かず、仕方なく休みを取りやめて……と、そんなことが続いた上での、やっとまとまった休日だったのだ。
 本当に遅い夏休みである。
 気候的には、まだ日中は暑くて汗ばむこの時期だが、朝夕は秋の風が吹いている。
「でも、また予定が潰れるかも知れないからって、旅行の予定もたててませんよ」
 仁の言葉に、
「ほら、暇なんじゃない!」
 得たり、とばかりに笙子は言った。
「だから、休日に、患者以外の人間を診察するのはごめんだと――」
「診療しなくていいのよ。匡に会って、うちのクリニックに相談に来るよう伝えてくれればいいの。――電話も通じないんですもの」
「……」
 沈黙の意味はもちろん、きっと引き受けることになるだろう、という諦めである。
「いいじゃないですか、先生。その沼尾さんっていう笙子先生の元恋人が困っているのなら、放っておけないことも確かなんですから」
 こうして結局、春名は、その廃村、於地村へ行くことになったのである……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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