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Karte.8 青い鳥の可不可―迷走
青い鳥の可不可―迷走 24
しおりを挟む――外来など出来るはずがない。
――患者の話を聞けるような状態じゃない。
そう思っていたのに、いざ診察を始めてみると、事故の動揺も、幻覚への不安も何処かへ消え、いつもと同じ時間に溶け込んでいた。
「すみません、バークさん。今日は医学生が一人見学していますが、話しづらいようなら、出ていてもらうことも出来ます。――どうしますか?」
普段と変わらない時間が過ぎて行く。
あの日のことを話したとはいえ、仁にはまだまだ聞きたいことが山ほどあっただろう。それでも、必要以上に問うこともせず、十三、四歳の少年らしくもない気遣いで、春名を支えてくれようとする。――そう。今、支えられているのは、春名の方なのだ。一方的に仁を支えて来た関係は、仁の成長と共に、変わろうとしているのかも知れない。――いや、仁はこれまでずっとそうしたがっていたのに、それを許さなかったのは、春名の方だったのだ。
自分のちっぽけなプライドを優先させるために。
――帰ったら、仁と話をしよう。
そんなことも診察の合間に考えていた。
まだ何も解決したわけではないし、少しも整理が出来た訳ではない。
だが、精神的な問題が、一朝一夕で改善されるものでないことは、春名自身がよく知っている。そして、一人ではどうにもならない問題があることも……。
母親に置き去りにされてしまった、傷つきやすい幼子――ずっとそう思っていたのに、子供というのは、あっと言う間に成長してしまうものらしい。
考えてみれば、仁は春名よりも余程生活力はあるし、経済観念も発達している。勉強や仕事以外のことは、お金を払って解決した方が楽――と、ハウスキーパーを雇い、外食で済ませ……という生活を送って来た春名とは違って、調理道具や食器、掃除道具、etc.……を増やして行ったのは、仁だった。
『先生、ぼくは医者にはなりません』
『でも、医師免許は取って、先生の役に立ちたいんです。料理も洗濯も掃除も全部しますから――。先生、何も出来ないでしょ?』
――先生、何も出来ないでしょ?
その仁の言葉を思い出すと、何だかおかしくなって、吹いてしまった。
確かに、何も出来ないのは、仁ではなく春名の方だったのだから。
そして――。
人それぞれ、向いていることや、やりたいことがあるのだろうから、頭がいい、というだけで、勉強を続けさせるのは間違っているのかも知れない。仁自身は、大学はおろか、ハイスクールにさえ行きたがってはいなかったというのに――。
外科医を父親に持つ家庭で育った春名にとって、医者になるための勉強は、小さい頃から側にあったものだったが、結局、両親の思惑通りに外科医にはならず、精神科医への道を選び取った。
父や母がその選択に戸惑い、腹を立て、失望したように、春名もまた、仁が医者への道を望まないことに、同じ思いを押し付けようとしていたのかも知れない。
――親の気持ちは、自分がその立場になってみなければ解らない。
だが、子供の気持ちなら、自分も経験して来たことなのだから、理解できる。
まるで春名は、仁のやりたいことを否定し、自分の考えばかりを押し付ける、かつての両親のようだったに違いない。
「――どうかしたんですか、先生? 何かおかしかったですか?」
次の患者を呼ぶまでの間に、笑みを浮かべる春名を見て、仁が訊いた。
つい、顔に出てしまっていたらしい。
「いや、こういうのも悪くないな、と思ってな」
幻覚が視えても、それを共に視ようとしてくれる存在がいる。
春名でさえ、患者と同じ幻覚を見てみよう、などという治療はして来なかったというのに。
だから、精神科医の質問と、患者の答えは噛み合わないのだ。同じものを見ていないのだから、話が通じるわけがない。
そして、今、春名の目の前には、春名を解ろうとしてくれる、一生懸命な少年がいる。
「――こういうの?」
「さあ、診察の続きだ。随分、待たせている」
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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
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