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Karte.8 青い鳥の可不可―迷走
青い鳥の可不可―迷走 19
しおりを挟む話に聞くだけだったクランケの顔と、その姿を思い浮かべる。
想像の域を出ないものではあるが、年齢や性別、症状の段階も含め、家族の姿も考えてみる。
春名はそんな二人の姿を前に、何を思っているのだろうか。
幻聴は聞こえると言うのに、言葉として聞き取れないのは、それが春名の聞きたくない言葉、だからだろうか。
仁は、二人が立っているであろうドアの脇を見つめ、しばらく黙って考えていた。
子供の頃は(今でも子供だが、もっと小さい頃は)、視えるものを口に出して、よく母親に問いかけていた。
「あそこに誰かいるよ」
だが、それをすると怒られるようになり、黙り込んでしまうことが多くなった。
子供の頃に通っていた学校で話したのは、きれいに洗い流されているはずの血が視える話だけだったが、それは、仁の母親がニコルズ博士に相談しただけであって、仁から話したことは一つもない。
他の人には見えない《誰か》が視えることもあったし、何かの場面が、刹那、脳裏を過るような予兆もあった。
そんな時、いつも胸が苦しくなった。
自分だけにしか視えていないものが怖かった。
そして……。
今、春名も、その時の仁と同じように、自分だけに視えるものに怯えている。自分だけに聞こえる声に震えている。
だから、こう思ったのだ。
同じものを視てくれる誰かがいたなら、きっと、どんな言葉よりも救われるだろう、と。
仁が、自分にしか視えていないことに孤独を感じていたように、それが孤独で無くなれば、春名も安堵するだろう、と。
二人で同じものを見て、同じものを聞いたなら、それはもう孤独ではないのだから。
「……すみません、先生。ぼくにも今は、先生と同じように『聞き取れない言葉』しか聞こえないみたいです。それに――。彼らももう消えかけています」
静かに、ゆっくり、春名の心に刻むように、仁は言った。
「消えかけて……」
「ええ」
「ああ、本当だ。確かに薄れていっている……」
「また今度にしましょう。彼らも急いではいないようです」
「ああ、そうだな……」
「先生――、ぼく、今日はこの部屋で寝てもいいですか? ずっと視えなかったものがまた視えて、何だか不安で……」
そう言って春名を見上げると、春名も「NO」とは言わなかった。
いつもの春名と同じように、傷つきやすい子供の心を気遣うように、長い指を広げて仁の頭を優しく撫でた。
こんなことを思ってはいけないのかも知れないが、やっと春名の役に立てているようで、嬉しかった。もっと言うなら、このままの生活が続いても、それでも一向に構わなかった。自分が支えていることで、春名が立っているのだ、ということが、仁には何より嬉しかったのだ。
春名に必要とされている今の自分が。
そう。今まではどこか不安だったのかもしれない。
春名は親でもなく、兄弟でもなく、身内でもない。仁とは医者と患者の関係で、仁が一人で生きていける年になってしまったら、もうこうして一緒にはいてもらえない。
春名にしか解ってもらえないことがたくさんあるというのに。
春名にしか話せないことがたくさんあるというのに。
もちろん、心の中では解っていた。春名は仁とは違って、友人も作れるし、彼女も出来る。普通に学生生活を終えて、医師という仕事と社会的地位を手にしている。
だが、情緒障害を抱える仁は、未だに友人を作るのも煩わしく、誰かと仲良くなりたいとも思わない。他人は嫌いだし、このまま大学を卒業しても、きっと今のジョージと同じように、まともに仕事に就けそうにない。
春名の背に隠れて、苦手なことは全て春名にさせているだけの子供時代から、何一つ変わってはいないのだ。
狡い考えだと言うことは解っているが、このまま春名がずっと仁を頼ってくれるのなら……。
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