可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.8 青い鳥の可不可―迷走

青い鳥の可不可―迷走 14

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 春名が寝入って、そろそろ一時間が経とうとしている。
 仁は、春名の寝室のドアをそっと開き、中へ足を踏み入れた。
 あの後、ジョージと大学に戻り、迎えに来た春名と共に、このコンドミニアムに戻って来たのだ。
 結局、何一つ完璧には出来なかったが、何だか色々なことをした気分になった一日だった。
 いつもと同じように食事をして戻り、風呂に入り、それぞれの部屋で眠りにつく。
 もちろん仁は眠ることなく、こうして様子を見に来たのだが。
 夢遊病は、寝入って一時間から三時間くらい経った頃に起こることが多い。今日も同じように窓を開けるとは限らないが、可能性がある以上、放ってはおけない。
 春名に夢遊病のことを話してしまうことも出来ないし――そんなことをすれば、春名はどんな無理をすることか。
 仁には優しく笑いながら、
「大丈夫だ」
 と、口に出し、薬や拘束具を使おうとさえするかも知れない。
 症状が現れる少し前に起こしてみることも、症状を改善する切っ掛けになることもあるようだが、毎日、夜中に春名を起こしていては、それこそ春名が訝しく思うだろう。
 となると、仁に出来ることは、昼間に仮眠を取って、夜、こうして起きていることだけである。
 そして……。
 春名は今日も、昨日と同様に起き出したのだ。
 寝入って三時間を過ぎた頃だった。
 今日はもう大丈夫か、と安心しかけた頃に、当たり前のように目を醒ました。――いや、意識がないまま、動き出した。
 目も開いているし、話しかければ応えてくれそうなほどに、深い眠りにあるとは思えない動きで、ベッドの上に体を起こす。
 だが、実際に話しかけたとしても、会話は成り立たないだろう。
 何より、春名の目は、すぐ側にいる仁のことなど見ていない。
 それでも――。
「ドクター・春名、お茶を入れますから、向こうで一緒に飲みませんか?」
 と、腕を取って、静かにリビングへ誘導する。
 意識はなくとも、食事をしたり、TVを付けたり、普段の生活行為をすることは珍しくない。
「……」
 春名は何も応えなかったが、誘導される腕のままにリビングへ行き、革張りのソファに腰を下ろした。
「すぐに支度をしますから」
 お湯はポットのスイッチを入れるだけで手間もない。
 茶葉も、ティーポットもすぐに出せる。
 熱いままだと火傷をするため、入れたお茶を氷で冷やして、アイスにする。
 それを手渡し、
「ドクター・春名――。いつか、ぼくにも話してくれますか?」
 春名の顔を覗き込むように、仁は訊いた。
 無理にストレスの理由を訊くことは出来ない。それは、春名が一番望んでいないことだろうから、さらなるストレスになってしまう。
「ぼく、いつでも聞きますから」
「……」
 春名は何も言わなかった。
「実は……今日初めて、ぼく一人で出来ないことを、誰かに協力してもらってやろうと思ったんです。それだけ切羽詰まっていたこともあったんですけど――」
 自嘲のように、クスリ、と笑い、
「結局、出来なかったんですけど、彼のことが少しだけ解ったような気がしました」
「……」
「ドクター・春名もきっと、患者さんの話を聞いて、その患者さんのことが少しでも解ったら、今のぼくみたいな気持ちになるんですね」
「何故……」
「ドク? 目が醒めたんですか?」
「……」
 春名はまた、沈黙している。
 夢遊病状態でも言葉を口にすることは珍しくはないし、その言葉が意味のあるものかどうかも判断できない。
 春名は一体、その胸の中に何を抱えているのだろうか。
「――もう寝ましょう、ドクター・春名。体を休めておかないと、明日、起きられませんよ」
 リビングへ来た時と同様、仁は春名の手から飲み残しのお茶を受け取ると、再び寝室へとうながした。
 次の日も同様に、無理強いはせず、春名の徘徊につき合った。危険がないように誘導しながら。
 その次の日も、そのまた次の日も同様だった。
 春名の夢遊病は続いていた……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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