可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.8 青い鳥の可不可―迷走

青い鳥の可不可―迷走 13

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 それからレーゲンスタイン図書館は大騒ぎだった。
 考えてみると、他人を不快にさせることにかけては、仁もジョージと同じようなものだったかも知れない。
 協調性もなく、かといって、自分一人では生きていけない。特定の誰かにだけずっと側にいて欲しい。自分のことを解ってくれる人にだけ――。
 自分からは他人を認めることはしないのに、随分、都合の良いことを思うものだ。――いや、ジョージは仁のように他人を無視したりはしなかったが、自分と対等であるとは認めようとしなかった。いつも自分が特別でなければ気が済まなかったのだ。
「いい加減にしろよ、ジョージ」
 今にも仁に殴りかかろうとするジョージの腕を掴んで止めたのは、図書館にいた学生の一人だった。
 やはり、小柄で、実際にもまだ子供である仁を殴ろうとするジョージの行為は、傍目にも行き過ぎだ、と思えたのだろう。
 だが、仁は別に殴られても良かったのだ。
 それでジョージの気が晴れて、もう仁のことを放っておいてくれるのなら――。そんな展開も期待して、辛辣な言葉を吐いたのだから。
「放せよ、この野郎!」
 椅子が倒れ、当たり散らすように蹴りあげたジョージの脚が、積まれた本を床に落とす。
 ジョージの顔は、怒りに歪んで真っ赤であった。
 振り回した腕が一人に当たり、それに対する反撃が飛ぶと、あっと言う間に人垣が出来、そこかしこで怒号が飛び交った。
 もちろん、長くは続かなかった。
 囃す人間がいれば、止める人間もいて、ジョージが床に倒れ込むと、
「もういいだろ?」
 その言葉が合図のように、集まった学生たちも散り始めた。
「……クソっ」
 小さな憤りの言葉が、零れ落ちる。
 それに続くジョージの言葉は聞こえなかったが、何を言っているのかは容易に知れた。
「僕があいつらの年の頃には……もう優秀な医者だった……」
 哀しい、一人ぼっちの呟きだった。
 最年少で医学部を卒業し、天才と持て囃され、知識だけで、世間を教えられることなく育った少年――。
 だから彼は、青い鳥を探し続けてしまうのだろうか。
 だとしたら――幸せの青い鳥を求め続ける彼は、とても不幸な青年なのかも知れない。
「――窓に防犯用の柵を付けたいんだけど、一人じゃ柵をささえて取りつけるのが無理なんだ。手伝ってくれないか?」
 仁は言った。




 窓に柵を取りつけることを、春名にどう説明しよう――そう思っていたのだが……。
 春名と仁が帰宅するのは、いつも陽が落ちた夜になってからのため、春名が窓の外を覗く前に、先に仁が部屋のカーテンを閉じて回れば、春名が窓に取り付けられた防犯用の――いや、転落防止用の柵に気付くことはないだろう。
 それ以前に、春名は部屋のカーテンが変わっていても気付かない性格だろうし、柵が元からあったのかどうかも覚えていないかも知れない。
 人間、自分の興味のないことには、そんなものである。
 タクシーでホームインプルーブメントセンターに行って柵を買い、そのままコンドミニアムに戻って、柵を取りつけようとしたのだが……。
「大人のクセに、力無さ過ぎ……」
 仁がネジを固定する間も、柵を抱えていられないジョージの不器用さに、溜息をついて仁が言うと、
「無茶言うな! この高さだぞ! 重い柵を抱えて、そんなに力が入るもんか」
 絆創膏を貼った顔を歪めて、ジョージが言った。
 確かに、自分が落ちるのも、手を滑らせて柵を落とすのも危ない場所である。
 へっぴり腰になっても無理はないのだが――。
「なら、ぼくが持つから――」
「ハッ! 冗談! カーテンレールに紐で柵を吊って、安全策を取ってからにしよう。こっちの負担も減る」
 そんなこんなで、大工仕事など頭の中でしか考えていなかった二人は、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながら、慣れない作業に没頭していた。
 ――もしかしたら、今日はもう無理かもしれない。
 ノートに書くのとは違って、計算式を立てていても、それを支えられるかどうかは別問題なのだから。
「……やっぱり、学校の中でしか通用しないのかな、年も経験も浅い、知識だけの人間なんか」
「……」
「社会に出たら、ただの下っ端で――」
「普通の人間なんだから、それが当然だよ。ぼくたちだって普通の人間なんだ……」
 自嘲気味のジョージの言葉に、仁は自分自身に言い聞かせるように、そう言った。
 特別なものであるはずがない――。
 人は、人以上でも、人以下でもないのだから。
 互いに、そんなことを話し合うコミュニケーション能力に優れているとはいえなかったが、話さなくても解り合えることもあった。
 ジョージも、それ以上は何も言わなかった。
 ただ――、
「手を怪我する訳にはいかないからな。続きはもっと道具を揃えてからにしよう」
 その日は結局、柵を取りつけることは出来なかった……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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