上 下
162 / 350
Karte.8 青い鳥の可不可―迷走

青い鳥の可不可―迷走 12

しおりを挟む


 その日の仁は、昨夜の徹夜のせいもあって、襲い来る睡魔と闘うはめになっていた。
 だが、日中無理をして起きていても、夜中に眠ってしまっては元も子もないので、この際、大学の講義はサボることにして、シカゴ大学のレーゲンスタイン図書館で、仁は仮眠を取っていた。
 何しろ、講義中に居眠りすると、仁は他の学生よりも目立ってしまうのだから。――小柄なのに。
 多分、あの『青い鳥症候群』のジョージ・スペンサーも、同じストレスを抱えていたのではないだろうか。天才と持て囃されながら、何か落ち度があると、良いこと以上に大きく取り上げられ、気の休まる暇もないような――。
 それとも、彼には周囲の注目を集める時間こそが、恍惚たる時間だったのだろうか。
 そんなことを考えながら、いつの間にかうとうとと眠ってしまっていたのだろう。
 静かな図書館とはいえ、椅子に腰かけたまま、机に突っ伏して眠れるのは、余程の読書嫌いか、疲れている人間に違いない。
 仁も昨夜のことでは、睡眠不足というだけではなく、衝撃と不安で疲れていたのだ。
 数分うとうととしただけだと思っていたのだが、
「最近のシカゴ大は、勉強しなくても卒業できるんだな?」
 そんな言葉と共に、誰かが傍らの椅子に腰をおろして――。
「よっ」
 と、目を開けた仁を覗き込んだ。
 こうしてここで再会するのは、寝る前に何となく彼のことを考えていたせいかも知れない。
 それとも、彼に会いそうな予感がしたから、寝る前に考えてしまったのだろうか。
 ――ジョージ・スペンサー。
「そっちこそ、ここで働いてるんですか?」
 厭味には厭味を、という訳ではないが、誰だって眠い時に皮肉を言われれば、そう言って厭味を返したくもなる。
「まさか! ドクター・ヘンリソンに文句を言いに来たんだ。あんなチンケな病院を僕に紹介するなんて、どうかしてる!」
 頬を少し紅潮させ、馬鹿にされた憤りを語るように、ジョージ・スペンサーは言った。
 もしかして、大学病院と、他の病院の機能を比べているのだろうか。
 それとも、また上下関係や、仕事内容のことで……。
「なら、ずっと大学病院にいればよかったのに」
 別に話をしたい訳ではなかったが、彼の甘えた考えに、何か言わずにはいられなかった。
「あの指導医のせいだ。いつまで経っても学生扱いで見下して――」
 どこの会社に勤めても、新人は雑務や営業から始まるし、技術を持っていたとしても、最初から希望の部署に配属してもらえるわけではない。
 最初の二、三年が我慢できないで、社会を学ぶことも出来ないのなら、彼はこの先どこを紹介してもらっても同じ結果になるだろう。
「……。青い鳥は、きっと、そうして探している内は見つからないよ」
「はぁっ?」
「別に――。チンケな病院なら、あなたも早く出世が出来るだろうし、満足できるだろう、っていうドクター・ヘンリソンの計らいだったんじゃないか」
 寝不足の機嫌の悪さもあって、甘えたことばかりを言うジョージに、仁はさらに皮肉をつけ足した。
「――チビのクセに喧嘩を売ってるのか?」
「チビしか相手に出来ないから、ぼくのところに来るのかと思ってた」
 この場に春名がいたなら、きっと『つまらない喧嘩をするんじゃない』と仲裁に入っただろうが、今日は生憎その春名はいない。
 仁も、幼いころと違って、こうして相手に苛立ちを覚えながら接するのは久しぶりだった。
「こいつ――っ! 子供なら何を言っても許してもらえると思ってるなら、大間違いだぞ」
「ぼくの知ってる大人は、みんな下積みから始めてる」
 春名だって、研修医の頃はもちろん、今だって若手として何かとこき使われている。
 仁が、「いつもドクター・春名ばっかり……」と文句を言うと、笑って仁の頭に片手を乗せる。
 それが、大人ではないのだろうか。
 大人は《青い鳥》を探したりはしない。
 子供のように《青い鳥》を探さなくても、自分の手で何とか出来るのが大人なのだから。また、そうしなくてはならない責任というものを背負っているのだから。
 その責任を放り出して、すぐに仕事を辞めてしまうジョージのような人間は、大人になりきれていないに違いない。
「よくも僕を馬鹿にしたな――っ!」
 真っ赤な顔をしたジョージのこぶしが、勢いに任せて振り上げられた。


しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...