159 / 350
Karte.8 青い鳥の可不可―迷走
青い鳥の可不可―迷走 9
しおりを挟む――どうしてあんなことを訊いてしまったのだろうか。
コンドミニアムの一室に戻り、風呂と明日の支度を済ませてベッドに入った仁は、車の中で春名を前に口にしてしまった言葉に、得体の知れない不安を感じていた。
『ドクター・春名は……青い鳥を探さないんですか?』
順風満帆にシカゴ大学を卒業し、優秀な若手精神科医として大学病院に籍を置いている春名に、チルチルとミチルのように、『想い出の国』や『未来の国』に旅に出る理由はない。
それなのに……。
青い鳥を探さなくてはならないのは、きっと春名ではなく、何も持っていない仁の方だというのに――。家も、家族も、友人も、進みたい道も、思い描く未来も、本当に何も持ってはいないのだから。
そして――。
そして、春名が返した、あの応え……。
春名は何故、あんな言葉を口にしたのだろうか。
春名なら、チルチルとミチルの青い鳥が何処にいたのかなど、当然の如く知っているだろうに。
そんなことを考えていると、眠りは中々訪れなかった。
こんな時は無理をして眠ろうとしても、余計に目が冴えるばかりで――。
――暖かいお茶でも入れよう。
寝返りばかりを打ち続けるのにも疲れて、仁はベッドを抜け出した。
向かいは春名の寝室である。
仁が使っているのは、もともと春名が本や色々な荷物を置いていた部屋で、今はそれらを整理して、仁が寝室として使っている。一人暮らしには過分に思える部屋だから、きっと女性と住むつもりをしていたのかも知れない。
そう思って、一度、春名に訊いたこともあるのだが、
「――世話焼きの母が選んだ部屋だ。自分も住むつもりで」
と、春名は言った。
「お母さんが? そんな部屋をぼくが使ったら――」
「見ただろう? 今は物置だ。もうフレッシュマンでもないし、母も――訪ねては来ない」
そんな春名の事情を知ったのも、その時だった。
まだ幼かった仁にも、春名はごまかすことなく対等に話しをしてくれた。
外科医の家庭に生まれた春名にとって、将来は外科医になるのだ、という自他共に刻まれた進路があり、中学受験の頃には疑うこともなくその進路に向かって進んでいた。
だが――。
いつからだったか、家族の何かが歪み始め、母親の言動が苦痛になり、父親の存在が希薄になった頃から、春名の目指す道は変わって行った。
「僕は外科医にはならない。だからもう構わないでくれ」
その春名の言葉で口論になったのは、母親と春名ではなかった。
母親は、
「どうして?」
と訪ねるばかりで、何になりたいのかは訊かなかった。
母親からその言葉――息子が外科医にならない、という言葉を聞いた父親は激昂し、
「おまえが甘やかすからだ」
と母親を責めた。
それから、全てが崩れてしまうのに、そう時間はかからなかった。――いや、春名がそう口にしても、両親は『一時的な気の迷いだろう』と高をくくっていたようでもあった。
時間が経てば、また元の目標に向かって進み始めるに違いない。
外科医ほど素晴らしい職はない、と気付くに違いない。
そんな都合のいい思い込みがあったために、まだ誰も春名が何になろうとしているのか、訊くこともしなかったのだ。
春名はそれを『解ってもらえなくても、反対もされなくなった』と理解したし、変わらず医大を目指していた春名の姿に、両親も思い直してくれたのだ、と思っていたに違いない。
だからこそ余計に、春名の選択を知った時、母親には絶望が訪れ、父親は二人を突き放したのだろう。
そんなことを思い出しながら、お茶を入れて飲んでいると、春名の部屋から起き出す気配が耳に届いた。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる