157 / 350
Karte.8 青い鳥の可不可―迷走
青い鳥の可不可―迷走 7
しおりを挟む夜――。
春名の様子がおかしい。
ウォーレンの話をしない。今日は彼の退院日だったというのに、一言もそれに触れないのだ。
もちろん、医者である春名には守秘義務があり、医師として知り得た情報は、家族にさえ話してはならないのだが。
それでも……。
いつもと同じ顔を装いながら――いつもと違う春名の様子に、仁は不安を募らせた。
――やはり、何かあったのだろうか。
仁が感じた『嫌な予感』の通りに――。
いや、何かあったのなら、春名は仁にそう言うだろう。何も言わないのはきっと、ごく普通に退院して行ってしまったために、日々の当たり前の出来事として、すでに過去のことになっているからなのだ。
……そう思おうとしたが、何故かうまくいかなかった。
どうしても納得できない自分がいて――。
どうしても拭いきれない不安があって――。
「カーソンズのスペアリブでも食べに行くか」
そう言っていつもの通りに夕食に出掛け、注文したものの、春名は仁に食べるようにすすめるばかりで、自分はビールを飲んでいる。皿のスペアリブは減らないままで……。
「――どうした? もっと食べないと大きくなれないぞ」
「うん……」
――ドクター・春名も食べていない。
そんなことにも気付いていないのだろうか。
多分、そう言い返しても、
「病棟でもらった差し入れを食べたから、そんなに腹は減ってないんだ」
と、以前にも聞いた言葉が返ってくるだろう。
確かにそんな日もあるだろうが、今日はそうでないに違いない。
いつもは食欲をそそる、脂の乗ったスペアリブに絡むバーベキューソースが、今日は何だか喉に詰まる。
心配で、心配で。
それなのに、何も出来ない非力な自分がもどかしくて。
香ばしく立ち込める甘辛い匂いや、脂の弾ける旨味さえも、苦々しい。
「今日――」
そう切り出そうとし、仁は、春名の全身が次の言葉を拒むのを見て、咄嗟に別の言葉を持ち出した。
「――今日、大学に最年少医学博士が覗きに来てて――。ドクター・春名も知ってるでしょう? シカゴ大出身のジョージ・スペンサーっていう、二十代前半の小児科医……」
見るからに、春名の肩から力が抜けた。――いや、春名をよく知らない人間が見ても解らない変化だっただろうが、仁にははっきりと解ったのだ。
春名は、今日、病院で起こったことについて、仁に訊かれることを拒んでいる――。
「ああ。当時は騒がれたからなァ。――で、彼がどうかしたのか?」
少し安堵したような表情で、会話は続いた。
「どうしたというか……。職探ししてるみたいで――。噂では、指導医の先生とぶつかって大学病院を辞めたとか何とか……」
「頭は良くても、精神は子供のまま、か」
「かも知れないですけど……」
仁は、最年少博士の自信に満ちた話し方を思い出すように、語尾を消した。
「けど?」
春名がそれに問い返す。
「ぼくもそうですけど、彼も同じように『子供扱い』されて、不満を感じていたのかなぁ、と思って」
特に医者となると、たとえ勉強が出来て博士号を持っていても、年若い青年に安心して診療やオペを任せる患者は少ないだろう。
年齢というものは、それだけで信頼と安心を与えることのできるものの一つなのだ。
もちろん、年がいっていても、必ずしも経験と実績がある、という訳ではないのだが、一般的にはそう受け取られることが多い。
誰だって診察室に入って、年若い研修医が座っていたら、この人に任せて大丈夫だろうか、と不安になってしまうに違いない。
「当時は子供でも、いつまでも子供のままじゃなぁ。――とはいえ、三十、四十になっても、立派な大人の精神を持っている人間も少ないが」
いつもの春名の皮肉である。
彼のことを知る人間なら、普段と変わりない、と思うに違いない。
それでも……。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる