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Karte.8 青い鳥の可不可―迷走

青い鳥の可不可―迷走 7

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 夜――。
 春名の様子がおかしい。
 ウォーレンの話をしない。今日は彼の退院日だったというのに、一言もそれに触れないのだ。
 もちろん、医者である春名には守秘義務があり、医師として知り得た情報は、家族にさえ話してはならないのだが。
 それでも……。
 いつもと同じ顔を装いながら――いつもと違う春名の様子に、仁は不安を募らせた。
 ――やはり、何かあったのだろうか。
 仁が感じた『嫌な予感』の通りに――。
 いや、何かあったのなら、春名は仁にそう言うだろう。何も言わないのはきっと、ごく普通に退院して行ってしまったために、日々の当たり前の出来事として、すでに過去のことになっているからなのだ。
 ……そう思おうとしたが、何故かうまくいかなかった。
 どうしても納得できない自分がいて――。
 どうしても拭いきれない不安があって――。
「カーソンズのスペアリブでも食べに行くか」
 そう言っていつもの通りに夕食に出掛け、注文したものの、春名は仁に食べるようにすすめるばかりで、自分はビールを飲んでいる。皿のスペアリブは減らないままで……。
「――どうした? もっと食べないと大きくなれないぞ」
「うん……」
 ――ドクター・春名も食べていない。
 そんなことにも気付いていないのだろうか。
 多分、そう言い返しても、
「病棟でもらった差し入れを食べたから、そんなに腹は減ってないんだ」
 と、以前にも聞いた言葉が返ってくるだろう。
 確かにそんな日もあるだろうが、今日はそうでないに違いない。
 いつもは食欲をそそる、脂の乗ったスペアリブに絡むバーベキューソースが、今日は何だか喉に詰まる。
 心配で、心配で。
 それなのに、何も出来ない非力な自分がもどかしくて。
 香ばしく立ち込める甘辛い匂いや、脂の弾ける旨味さえも、苦々しい。
「今日――」
 そう切り出そうとし、仁は、春名の全身が次の言葉を拒むのを見て、咄嗟に別の言葉を持ち出した。
「――今日、大学に最年少医学博士が覗きに来てて――。ドクター・春名も知ってるでしょう? シカゴ大出身のジョージ・スペンサーっていう、二十代前半の小児科医……」
 見るからに、春名の肩から力が抜けた。――いや、春名をよく知らない人間が見ても解らない変化だっただろうが、仁にははっきりと解ったのだ。
 春名は、今日、病院で起こったことについて、仁に訊かれることを拒んでいる――。
「ああ。当時は騒がれたからなァ。――で、彼がどうかしたのか?」
 少し安堵したような表情で、会話は続いた。
「どうしたというか……。職探ししてるみたいで――。噂では、指導医の先生とぶつかって大学病院を辞めたとか何とか……」
「頭は良くても、精神は子供のまま、か」
「かも知れないですけど……」
 仁は、最年少博士の自信に満ちた話し方を思い出すように、語尾を消した。
「けど?」
 春名がそれに問い返す。
「ぼくもそうですけど、彼も同じように『子供扱い』されて、不満を感じていたのかなぁ、と思って」
 特に医者となると、たとえ勉強が出来て博士号を持っていても、年若い青年に安心して診療やオペを任せる患者は少ないだろう。
 年齢というものは、それだけで信頼と安心を与えることのできるものの一つなのだ。
 もちろん、年がいっていても、必ずしも経験と実績がある、という訳ではないのだが、一般的にはそう受け取られることが多い。
 誰だって診察室に入って、年若い研修医が座っていたら、この人に任せて大丈夫だろうか、と不安になってしまうに違いない。
「当時は子供でも、いつまでも子供のままじゃなぁ。――とはいえ、三十、四十になっても、立派な大人の精神を持っている人間も少ないが」
 いつもの春名の皮肉である。
 彼のことを知る人間なら、普段と変わりない、と思うに違いない。
 それでも……。


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