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Karte.7 吸血鬼の可不可-血
吸血鬼の可不可-血 12
しおりを挟む《血に飢えた吸血鬼、缶ビールに泡を吹く》
翌日の新聞の見出しを飾ったのは、冗談のようなその言葉であった。
昨夜、住宅街で一人の少年が吸血鬼に襲われ、持っていた缶ビールを投げ付けて、その吸血鬼を追い払った、というのだ。そして、無事助かった少年の証言から、犯人が痩せこけた白人の男であったことが判っている。
他にも、狂犬のように涎を垂らしていただとか、真っ赤な双眸をしていただとか、周りにコウモリが飛んでいただとか、色々な証言があったが、そちらの方は信用できない。もちろん、警察の方も信用してはいないだろう。証言した少年の方も、数日後には、馬鹿なことを言った、と後悔するに違いない。――いや、自分の言ったことを本当のことだ、と思い始めるだろうか。
とにかく、はっきりしている事実は、といえば、彼が父親に叱られたことと、当分、外出を禁止された、ということだけだった。
そして、犯人が白人の男であった、ということだけ……。
普通、コウモリが飛んでいた、とか、真っ赤な双眸をしていた、とか、見てもいないことを、見たと思い込んでいようと、ただ白人男性だった、というような思い込み方はしない。それなら、犯人はルーマニア人だった、とか、東欧人のようだった、とかいう思い込みの方が、理にかなっている。
彼が見た犯人は、確かに白人男性だったのだ。
だが……。
「君は納得していないようだな、仁くん?」
ダイニング・ルームで新聞を広げ、じっとその記事を見据える仁を見て、春名は訊いた。
「そういう訳じゃ……。ただ、今までの被害者は、皆、疑いもせずにホテルまでついて行っているのに、今回の少年は、最初から、あからさまな不審を感じて、その男を警戒しているし……」
犯人、とは言わず、その男、という言い方で二人を呼び分け、仁はうつむきがちに、語尾を消した。
「これだけ騒がれている事件だ。少年たちが警戒し始めるのも当然だろう?」
「でも、今までは街娼ばかりが狙われていたのに、今回は普通の学生だし――」
「つまり、納得していない、という訳だ」
少し卑怯な誘導尋問、というやり方で、仁の心の内を引っ張り出し、春名は大きく溜め息をついた。
仁は唇を結んで、うつむいている。
「なァ、仁くん。この事件は確かに特種で人目を引くが、何故、君がそんなに気にする必要がある? ドクター.ニコルズに協力するよう言われたのか? 君は、もう血を視たいとは思っていないはずだろう?」
隣の椅子に腰を降ろし、春名は、仁を抱いて自分の膝の上に移し変えた。
「ぼく……」
仁はそう言ったっきり、黙り込む。春名の膝の上は、目を合わせずに済む分だけ、気が楽なはずだろうに、それでも口は開かない。
「君を責めている訳じゃない。僕も精神科医として、やじ馬として、今回の事件に興味がない訳じゃない。――だが、僕は医者だ。セラピーはしても、犯人捜しはしない。君にもさせたくはない。――解るだろう? どんなに頭が良くても、君はまだやっと九つの子供だ。話だけなら対等に出来ても、対等の経験を持っている訳じゃない」
「……経験?」
「ああ。――僕が持って帰った資料を読み、君は、その病気についての異常性を理解した。それでも、そのクランケを治せる訳じゃない。頭で理解するのと、そのクランケを前にするのとでは、全く違う。――彼らは、1=1の常識の世界に住む人間とは違って、全く別の世界を創り上げていることも珍しくはない。我々に取っての【1】は、彼らに取って、必ずしも【1】ではないんだ。普通の人間には、【1】は必ず【1】であり、それ以外のものになりもしなければ、また、【1】が【1】でないと疑いもしない。――だが、彼らは疑う。【1】とは、【2】と同じものではないのかと――。ひょっとしたら、無限大にも等しいのではないかと――。そして、1=∞の世界を創り上げる。その世界では、我々にとって【罪】であることが、彼らにとっては【罪】ではなくなり、全く別の意味を持つものに変わっているかも知れない。人を殺すことにも、罪の意識を感じなくなるんだ。――そうなった時、警官なら、知識の代わりに銃や力を持って、その狂人を押さえ付けることが出来る。彼らの世界を知らなくても、今までに身につけて来た経験で、危険に対して取るべき処置を知っている。――だが、君はどうだ? この小さな手で何が出来る? 警官より遥かに優れた知識を持っているのに、この手は何の役に立つ? 年を重ねなければ、君の手は大きくならないだろう? 知識だけではどうにもならないだろう?」
春名は、膝の上に座る仁の小さな手をつかみ取り、たったそれだけのことで動きを封じられてしまう体に、問いかけた。吸血鬼に襲われたら、逃げることも抗うことも出来ない、非力さである。
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