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Karte.5 多重人格の可不可-交代

多重人格の可不可-交代 8

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「クックッ……。アハハハ――っ! これはいい。あんたはそう思っていても、こいつはそうは思っていないさ。こいつは俺に抱かれて結構、悦んでいたぜ。この白い唇で、下肢に閉じる蕾の中で、何度も俺をイカせてくれた。――なァ、仁?」
「……」
 仁は何の反応も示さず、ただ虚空を見ている。
 それは、どこかで見た表情だった。――そう。病院にも、そんな目をした患者が、何人もいる。
 春名はセイヤを押しのけると、仁を腕に支えて抱き起こした。
「仁くん? 聞こえているか、仁くん? 応えるんだ、仁くん!」
「……」
 少しだけ表情に、変化が、灯った。
 だが、まだ視線を合わせるでもなく、応えもしない。
「……催眠術だけでなく、薬か?」
 厳しい視線を、セイヤへと向ける。
「フッ。後三〇分もすれば、返事が出来るようになるさ」
 嘲笑うような口調で、セイヤは言った。
「……それほど研究材料が欲しいのなら、俺の『人格』もくれてやる。さっさと『無』を存在させてみろ。俺の『他者』を。――その代わり、君が仁くんを誘拐、監禁しても罪を問われないように、俺の『第二人格』が君を殺しても、俺が罪を問われることはない」
「……殺す?」
 セイヤの瞳が、戸惑いに変わった。
「さあ、やれ。精神科医の狂気を露にしてみろ。俺が何を抑さえ付けて生きているのか見せてみろ。無意識に何を存在させているのかを――。君は何でも出来るセイヤのはずだ。思い通りにすればいい。父親に抑さえ付けられて来た正也とは違う。容易いはずだ」
「……」
 精神科医が抑さえ付けている狂気……。
 一人の少年がいるからこそ、保っていられる心とプライド。
 その少年の存在が消えれば、また幻覚と幻聴に取り憑かれ、狂ってしまう春名の心を――。
 そしてそれは、春名と過ごすことで心の平穏を手に入れている仁も、同じ。
 春名がいなくなって不安になれば、また血が視えるようになってしまう。
 心は望んでいなくとも、見たくないものが視えてしまう。
 互いの心を理解しあえる存在の消失は、まさに正常と異常のボーダーラインであるのだから。
「そうだろ? 君は自由で、何の手枷も足枷もない。――正也は父親の側にいる。父親の言い付け通りに勉強をし、父親に言われるままにシカゴ大に入り、父親の期待通りに医者になり、父親の跡を継ぐために勉強を続け――」
「お、俺は……」
「正也に聞こえるのは父親の声だけだ。『試験の結果は一番だったんだろうな、正也?』『今学期の成績はどうだったんだ、正也?』『こんな成績で私の跡を継げると思っているのか、正也?』」
「あ……あ……」
 春名の言葉に、セイヤが明らかにうろたえ始めた。
「これで頑張っただと? この成績で?」
「う……あ……。す……すみません、お父さん。でも、ぼくは一生懸命……」
「言い訳はいい。その結果を示して見せろ。小さい頃は、必ずトップの成績を持って帰ったはずだ」
「お父さ……。本当にぼくは一生懸命……・。これが精一杯で……」
「次は必ずトップを取るんだ、正也。小さい頃出来たことが、今出来ないはずはない」
「ぼくは……ぼくには……。あ……う……ぅ……」
「解ったな、正也――」
「うあああああ――――――――っ!」
 セイヤ――正也の表情が苦しげに歪み、喉がちぎれるほどの叫びを上げた。
 床の上に蹲り、頭を抱えて震えている。
 脅えと狂気、父親に対する服従と、その重みによる精神破壊。
 勉強好きで、父親に褒めてもらいたいがために、苦もなくそれに打ち込んで来た幼い日。
 それが出来なくなった少年期――。いくら頑張っても父親の期待に応えられなくなった苦しい日々。
 春名は、その正也の姿を見据えると、仁を腕に抱き上げた。
「……セン……セ?」
 薬から醒めたのか、正也の狂気の叫びに意識が戻ったのか、仁が薄く唇を開く。
「心配ない。もう帰ろう」
 二人は、崩壊した《他者》の部屋を後にした……。




『おとーさん。おとーさんっ。ぼく、また一番だったよ』
『ほう。偉いな、正也は。さすがは私の息子だ。――こっちへおいで』
『はいっ』
 おとーさん。ぼく、勉強すきだよ。いっぱい勉強して、おとーさんみたいな立派なお医者さまになるんだっ。
 おとーさんみたいな……。




「……正也?―― 正也?」
 父――片岡哲夫は、警察に連れられて来た息子の姿に戸惑いながら、呆然とその名を呼びかけた。
「おとーさん、ぼくね、この問題集、ぜんぶやったよ」
 正也は言った。
 だが、その手には何も、持ってはいない。
「……? 何を言っているんだ、正也?」
「ぼく、勉強してる時が一番、楽しい。だって、おとーさんがほめてくれるもん」
「……正也?」
「ぼく、勉強してくるっ。今度も一番だよ」
 正也は満面の笑みで、自分の部屋へと駆け出した。



 おとーさん、ぼく、また一番だったよ。

 おとーさん……。





              完



   ※次回『Karte.6 不老の可不可-眠り』を掲載します。


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