可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.5 多重人格の可不可-交代

多重人格の可不可-交代 5

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「どこかで仁くんに会っただろう? この一週間の内に、どこかで彼と――。道端で打付かったか何か。鍵が君の服に紛れ込むような状況で――。十七、八歳の俺の肩ほどの背丈の子だ。君は仁くんに会ったはずだ!」
 春名は正也に詰め寄った。
「え……。ぼくは――」
「会っただろう? 会ったはずだ!」
 と、はっきりとしない正也の襟をつかみ取る。
「く――っ」
 苦しげな呻きが零れ落ちた。
「春名――!」
 その行為を咎めたのは、笙子だった。感情的に正也の襟をつかむ春名を見て、慌てて横から、制止する。
「あ……。すまない」
 春名は、ハッ、として正也の襟から手を放した。
「い、いえ……。その『レンくん』というのは、春名先輩と図書館で一緒だった……?」
 正也は、思いがけない春名の姿に戸惑いながら、それでも気遣うように、口を開いた。
「ああ。どこかで会ったのなら思い出してくれないか? もう一週間以上、戻って来ない。この鍵は、彼の鍵なんだ」
『HARUNA』と名前の刻まれた鍵――。それを手に取り、春名は静かに言葉を続けた。
「ぼくは……」
「取り敢えず中へ上がってもらいましょう。コーヒーを入れるわ」
 笙子の言葉に、玄関先でのやり取りは、奥のリビングへと場所を変えた。
 春名はこれまでのことを簡単に話し、コーヒーを前に話を続けた。
「ぼくは、出掛けると言っても、病院と……後は本屋に立ち寄ったくらいで……。春名先輩の弟さんと会いそうな場所へ足を運んだことはなかったと……。ぼくは人に打付かるのは珍しくありませんけど、それも……」
 正也が、この一週間のことを思い出しながら、春名の問いに受け応える。
 仁が『春名の弟』だというのは、春名が話を簡単にするために持ち出した説明である。
 そして、懸命にこの一週間の出来事を思い出し、受け応える正也の姿は、どう見ても仁を知っているようには思えなかった。それでも、仁の鍵が正也の部屋のクロゼットの前に落ちていた、ということは、紛れもない事実である。
 考えられることは、その鍵は正也の服に紛れ込んでいたものではなく、そこに訪れた他の誰かの服に紛れ込んでいた、ということで、その誰かが仁と接触したのかも知れない。
「この一週間に、君の部屋に訪れた人間を教えてくれないか?」
 春名は訊いた。
「誰も……」
 正也はうつむきがちに、小さく言った。
「誰も……?」
 誰も正也の部屋に訪れてはいない、と言うのだ。
 他の幾つかの問いかけでも、正也が仁のことを知っている様子は微塵もなかった。恐らく、どこかで仁と打付かったが、それを覚えていないのだろう。
「……引き留めて悪かった。鍵をありがとう」
 春名は礼を言って、正也を部屋から送り出した。
 ドアを閉じ、笙子が春名を振り返る。
「彼は精神科医というよりも、患者ね」
 と、二人になった部屋で肩を竦める。
「俺も仁くんに同じことを――」
 言いかけ、春名はそこで言葉を切った。今、ふと、何かが心に過ったのだ。
 何か、とても大切なことが……。
「どうしたの?」
 その春名の様子を見て、笙子が訊く。
「同じ……」
 彼――片岡正也が大学時代に発表した研究のテーマは……。
 春名は、膨れ上がる可能性に鼓動を速め、その思いつきに息を止めた。
「出掛けて来る」
 と、手早く支度を済ませて、部屋を出る。
「え? 出掛けるって、どこへ――」
「片岡正也のところだ」
「え? ちょっと待ってよ、春名――っ」
「……」
 彼のテーマは『他者=他性』。もう一人の自分――他者たる自分……。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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