可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

Karte.５ 多重人格の可不可－交代

多重人格の可不可－交代 ３

『――二番だと？　おまえはこの病院の跡取りだ。それを解っているのか、正也？』
『すみません……』
『私の息子たるおまえが二番？　おまえの上に、まだ一人いる？　こんな成績でどうする！　私の息子たるおまえがトップを取れないはずはないっ』
『でも、父さんっ。ぼくは精一杯……』
　今度こそ褒めてもらえると……。
『こんなものは、まだおまえの実力ではない。本当の能力の三割も出せてはいない。おまえは優秀な私の息子だ。小さい頃は、いつもトップの成績を持って帰っていただろう？』
『……』
『全国レベルで二番というのならまだしも、並以下のレベルでしかない日本の――それも校内で二番など。――ハッ！　――大学はシカゴへ行くといい、正也』
『……シカゴ？』
『ああ。この分野では、日本はまだまだＵＳＡに劣っている。シカゴ大学で学び、私の跡取りとして相応しい成績を収めて戻って来るんだ』
『ぼくは……。ぼくには……』
『日本の教育など当てにはならん。ハーバードやスタンフォード、シカゴ大……誰もが知っている有名大学なら、おまえにもいい勉強になるだろう。シカゴ大には竹内君が助教授として籍を置いているから問い合わせておいてやろう』
『父さ――』
『今度は必ず一番を取れ。おまえに出来ないはずはない』
『……』
　出来ないはずは……。



　――出来ないんです、お父さん……。ぼくにはこれが精一杯で……。勉強はいくらでもします。でも、本当に、これが……。




「仁くん――っ！」
　ハッとして目を醒ますと、そこはリビングのロー・ソファの上だった。
　ロー・テーブルには、飲みかけのブランデーが放ってある。
　夢……。今のは、夢、だったのだ。
　春名はこぶしを握り締めた。
　仁がいなくなってから、すでに一週間以上が経っている。何の連絡もなく、行方も全く掴めてはいない。警察は、事件が起こってからでなければ取り合ってはくれず、脅迫状も身代金要求も何もない今、単なる一人の家出少年、という扱いだった。
「仁くん……」
　嫌な夢、だった。仁が恐怖に瞳を見開き、仔犬のように脅えていた。耳を塞ぎたくなるような絶叫と、汗が滲むほどの緊張。瑠璃のような神経を破壊する、狂気……。
　春名の額にも、この肌寒さの中、珠のような汗が浮かんでいた。
　玄関の呼び鈴が鳴ったのは、それから少ししてのことだった。
　部屋に訪れたのは、向かいの部屋に住む美人セラピスト、霧谷笙子――。手には、サンドイッチを盛った皿を持っている。
「起こしたかしら？」
　と、カーテンが閉じたままの部屋に入り、問いかける。
「いや」
　短く応え、春名は締め切ったままのカーテンを開いた。
　空の高い秋の光が、薄く、差し込む。
「……心配ね」
「……」
「知り合いの興信所の方も急かせているんだけど、まだ目撃者は見つからないみたい」
　サンドイッチをロー・テーブルに置き、笙子はコーヒーの支度をしながら言葉を続けた。
　仁がコンビニエンス・ストアへ行ったことは、はっきりとしている。何かあったのはその後――コンビニエンス・ストアから、このマンションへと戻る途中……。