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Karte.4 児童精神医学の可不可-他人
児童精神医学の可不可-他人 22
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もし――。もし、春名先生がダメだと言ったら。そんな仮定は、葉の世界には存在しない。
『春名先生はダメだと言った。だから、上げることが出来ない』
それが全てで、『もし』という言葉は、その中から消えている。
「ごめんなさい。悪いことを言ったわね」
「いや。段々とこの子が見えてくる……」
春名は、気の長い視線で、葉を見つめた。
自閉症――。
人に対してほとんど関心を持たず、その反面、彼らは機械的なものには興味を持つ。もし、などという曖昧な部分も、例外も矛盾もない世界だからだ。
自閉症児が人間の絵を描くと、ロボットのように色々な部品を体内に描き込むことがよく見られる。そして、姿形もロボットとしか言えないものもある。それは、彼らの住んでいる世界そのものなのだ。
動くものが生き物だ、と教えれば、機械で動くものと、自ら生命を持って動くものが混同する。そこで、一人で動くものが生き物だ、と教えれば、時計や、電池で動く玩具まで生き物の部類に入れてしまう。
実際、人間の絵の中に、電池が描かれていることは珍しくない。
そんな彼らには、『生きているみたい』という表現も理解出来ない。『生きているみたい』は、『生きている』のだ。だから、玩具の電車にミルクを飲ませることがある。彼らの世界に嘘はなく、代用が効かないことは、ままごとのお茶と同じで、人形にお茶を飲ませるのと同じように、電車にも飲ませる。
だが、この場合の電車は、人形の代用ではなく、彼らには電車も生き物だからだ。
「この子たちの世界に住んでみたいわね」
優しい眼差しで、笙子が言った。
春名はその言葉に瞳を細め、
「一週間なら、という但し書き付きで、だろう?」
「そうかも知れないわね」
しばらく、穏やかな会話だけが続いていた。
穏やかな――事件のことには何も触れない時間である。
「じゃあ、私は往診があるから」
そう言って、笙子が帰った後の部屋は、静かだった。
「華が消えましたね」
男だけになった世界で、仁が苦笑するように、春名を見上げる。
春名もその言葉に頬を緩めた。
「おいしいかい、葉くん?」
と、ケーキを頬張る葉へと、問いかける。
葉は黙々とケーキに取り組んでいる。
「君は食べないのかい、仁くん?」
その問いかけに、仁の視線が、じとーっ、と変わった。
「また何か厭味を言うつもりですか?」
と、疑り深く、春名を見据える。
春名は笑いをかみ殺した。
皮肉を言おうか、冗談を言おうか考えたが、
「……口の中の傷は?」
出てきたのは、その言葉だった。
「大丈夫です」
仁はしっかりとした口調で、受け応えた。
「そうか。それならいい」
「心配症ですね」
「……。もうこんな目には遭わせない。こんな思いは、二度とごめんだ……」
空には雲の切れ端が見え初めていた……。
『春名先生はダメだと言った。だから、上げることが出来ない』
それが全てで、『もし』という言葉は、その中から消えている。
「ごめんなさい。悪いことを言ったわね」
「いや。段々とこの子が見えてくる……」
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自閉症――。
人に対してほとんど関心を持たず、その反面、彼らは機械的なものには興味を持つ。もし、などという曖昧な部分も、例外も矛盾もない世界だからだ。
自閉症児が人間の絵を描くと、ロボットのように色々な部品を体内に描き込むことがよく見られる。そして、姿形もロボットとしか言えないものもある。それは、彼らの住んでいる世界そのものなのだ。
動くものが生き物だ、と教えれば、機械で動くものと、自ら生命を持って動くものが混同する。そこで、一人で動くものが生き物だ、と教えれば、時計や、電池で動く玩具まで生き物の部類に入れてしまう。
実際、人間の絵の中に、電池が描かれていることは珍しくない。
そんな彼らには、『生きているみたい』という表現も理解出来ない。『生きているみたい』は、『生きている』のだ。だから、玩具の電車にミルクを飲ませることがある。彼らの世界に嘘はなく、代用が効かないことは、ままごとのお茶と同じで、人形にお茶を飲ませるのと同じように、電車にも飲ませる。
だが、この場合の電車は、人形の代用ではなく、彼らには電車も生き物だからだ。
「この子たちの世界に住んでみたいわね」
優しい眼差しで、笙子が言った。
春名はその言葉に瞳を細め、
「一週間なら、という但し書き付きで、だろう?」
「そうかも知れないわね」
しばらく、穏やかな会話だけが続いていた。
穏やかな――事件のことには何も触れない時間である。
「じゃあ、私は往診があるから」
そう言って、笙子が帰った後の部屋は、静かだった。
「華が消えましたね」
男だけになった世界で、仁が苦笑するように、春名を見上げる。
春名もその言葉に頬を緩めた。
「おいしいかい、葉くん?」
と、ケーキを頬張る葉へと、問いかける。
葉は黙々とケーキに取り組んでいる。
「君は食べないのかい、仁くん?」
その問いかけに、仁の視線が、じとーっ、と変わった。
「また何か厭味を言うつもりですか?」
と、疑り深く、春名を見据える。
春名は笑いをかみ殺した。
皮肉を言おうか、冗談を言おうか考えたが、
「……口の中の傷は?」
出てきたのは、その言葉だった。
「大丈夫です」
仁はしっかりとした口調で、受け応えた。
「そうか。それならいい」
「心配症ですね」
「……。もうこんな目には遭わせない。こんな思いは、二度とごめんだ……」
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