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Karte.4 児童精神医学の可不可-他人
児童精神医学の可不可-他人 17
しおりを挟む「US……Aの……。ブライ……アン……ファ……ス……。来た……」
途切れ途切れの言葉だった。
「ブライ――何だ?」
聞きとれなかった部分を問い返す。
「ぼく……まだ……小さ……ころ……。シカ……ゴ……で……車……。殺……人……。ぼく……が……」
「――仁くん?」
「センセ……。危な……。彼……出所……して……。日本……に……」
「出所……? あ――」
その言葉に、思い当たった。
USA――シカゴ。
ブライアン・ファース――。
「あの男か? あのブライアン・ファースのことなのか、仁くん!」
春名は驚愕と共に問いかけた。
仁が、ゆっくりと一度、瞬きをする。
「あの男が日本に――。マンションに来て、君にこんな真似をしたのか? あの男がこの傷を――。君にこんな真似をしたのか!」
「センセ……。危な……い……」
「仁くんっ、あの男はどこに――っ」
それ以上の言葉を続けることは出来なかった。再びICUの扉が開き、三原医師が飛び込んで来たのだ。
「春名先生――っ。駄目ですよ! 彼はまだ話が出来る状態ではないんですから!」
と、慌てた様子で、春名を止める。
「……。ええ、すみません」
春名は憤りを押さえて、語調を落とした。
「仁くん、もう休みなさい。君の話はよく解った」
ブライアン・ファースが来た、と言ったのだ。仁は、あの男が日本に来たと……。
あれは冬だっただろうか。シカゴの長い冬――その一日だった……。
シカゴ――。
ループを中心とする市街地には、広大な住宅地が、果てなどないように広がっていた。
ポーランド、ドイツ、スウェーデン、イタリア、中国……世界中からの移民者が数多く住まい、それぞれのエスニック・タウンを、それぞれの独自の文化を持って形造る街。
グラント公園からリンカーン公園のレイク・ショア・ドライブ沿い。
ミシガン湖に沿った、かつての高級住宅地、黄金の浜――。美しい邸ばかりが建ち並んでいたその一帯も、今はほとんど姿を消し、過去の栄華も留めてはいないが、それでも、湖を臨むその一帯には、高層のコンドミニアムが立ち並び、特に、アスター通りの十九世紀スタイルの高級住宅群が存在するそこは、シカゴっ子の憧れの的だった。
春名は市の中心部、ループの南東にあるグラント公園の北――公園に隣接する図書館を出て、車の方へと向かっていた。
傍らには、小さな子供が、トコトコ、と急ぎ足で続いている。まだやっと十歳くらいだろうか。春名の歩調に合わせるのは大変そうだ。
「ほら、乗って」
と、その子供を車の中へと促して、春名も運転席へと腰を下ろす。
エンジンを掛け、レイク・ショア・ドライブに向けて、アクセルを踏む。と、助手席にちょこんと座るその子供が、春名を見上げて口を開いた。
「ねェ、ドクター.春名、博士論文は? 忙しいのに、ぼくと図書館へ行っててもいいの?」
と、心配げな顔で、春名の顔をのぞき込む。
春名はその言葉に、フッと軽く鼻を鳴らした。
「あくせくしているところを他人に見られるのは好かない。なりふり構わず、というのも性に合わない」
と、言葉を返す。
少しの間、車は沈黙で走っていた。ただの沈黙ではなく、言いたいことを言い出せない、というような沈黙である。それでも、やっと決心が固まったのか、仁がおずおずと口を開いた。
「ぼく……ぼく、博士論文、手伝ってもいいよ。時間もあるし、学校の授業はつまらないし、自分で勉強してるし……っ」
と、春名を気遣う。
「ありがたいが、俺のプライドが許さない」
「……」
「何故ハイスクールがつまらない? まだこの間進学したばかりじゃないか。クラスでは一番の飛び級だろう?」
すでに高校生である小さな子供に、春名は訊いた。
「だって……。だって、みんなぼくより馬鹿のくせに、年上ってだけでぼくを子供扱いするし、授業は簡単過ぎるし――」
「なら、早く卒業して、ハーバードでも、スタンフォードでも、シカゴ大でも行けばいい。誰もが知っている有名大学を出て、大学院で博士課程なりを経て――。そうすれば、君のやりたい博士論文を作成できる」
「……。ぼく、大学に行きたい訳じゃ……。ドクター.春名がぼくの世話で忙しくて……だから――」
「君のせいにするほど低いプライドではないさ。――何か食べて帰るかい、仁くん?」
春名は、仁の気遣いを察しながら、軽い口調で片目を瞑った。
仁が何を言いたいのかは、春名にもよく解っている。春名の負担になりたくない、と思っていることも、少しでも春名に楽をさせたがっていることも。
仁は黙ってうつむいている。
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