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Karte.4 児童精神医学の可不可-他人
児童精神医学の可不可-他人 3
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そこは、子供たちの玩具や教材、さまざまな遊び道具を置いた、小さな室内広場のような場所で、今も何人かの子供たちが、それぞれ何かに夢中になっている。
その入り口に立ち、春名は、隣をトコトコと歩く小さな男の子の手を放した。
「遊んでおいで」
と、彼の背を押し、隅にある椅子の一つに腰を下ろす。
「あの子ですか?」
春名の傍らへ来て、仁が訊いた。
「ああ」
まだ六、七歳の小さな男の子である。
その子供は、プレイ・ルームの中を歩き回って、玩具箱を覗いたり、本棚を眺めたりしている。
ハッ、とするほどに端麗な面立ちをした幼子だった。彼らの中には、そういう子供が多い。どこか神秘的で、幻想的で……。表情がない分、余計にそう映るのかも知れない。
「彼は三歳まで全く口を利かなかったそうだ」
春名は、その子供を目で追いながら、口を開いた。
「環境が変わったら、また喋らなくなるんじゃないですか?」
仁の心配はもっともだろう。
「長期戦は覚悟してるさ。朝診た時から表情は全くなく、目も合わない。まだ一言も喋ってもらってはいないよ」
「……」
「まだ、今日入院したばかりだ。急ぎはしないさ」
春名は軽く言葉を返し、プレイ・ルームを歩き回る幼子の姿を、静かに見つめた。
ここは、児童病棟の子供のための施設であり、他にも何人かの子供たちが本を読んだり、ゲームをしたり、絵を書いたり、切り取ったり、紙を千切ったり……と、さまざまな時間を過ごしている。
「前の病院ではどうだったんですか?」
春名の隣に腰を降ろして、仁が訊いた。
「ん……。そうだな。――読んでみるかい?」
ファイルの中から大判の封筒を抜き出し、春名は言った。まだすべてに目を通していないため、ファイリングせずに封筒ごとカルテに挟んであるのだ。
「ええ」
仁はその封筒を受け取り、中の書類を取り出した。
「神崎……葉、ですか?」
「ああ」
春名はうなずき、その子供の方へと視線を向けた。
子供――葉は、相変わらずプレイ・ルームの中を歩き回ってはいるが、何かを手に取って遊ぶ訳でもなく、のぞき込む玩具箱からも、何一つ持ち上げずに、キョロキョロとしている。
「あ。母親の記述も入ってますよ」
そう言って、仁がコピーされた用紙を取り出した。
「彼が初めて言葉を喋ったのは三歳で、母親が『おなかが空いた?』と問いかけると、『おなかが空いた』……って。これって、会話じゃなくて、単なる『オウム返し』じゃないんですか?」
と、眉を寄せる。
オウム返し――。
人の言った言葉を繰り返すだけのもので、会話ではない。
例えば、
『そろそろ片付けましょうね』
と、言うと、彼らは、
『そろそろ片付けましょうね』
と、応えるが、それは言葉を繰り返しているだけであって、今続けている行為をやめるわけではない。
ある子は、
『片付けます』
と、その子供にとっての一人称で言うと、
『片付けます』
と、言って、片付けを始める。
「そうでしょう、先生?」
「さあな。主語がないから何とも言えない」
「だから日本語は難しくて不便なんですよ。英語なら、これがオウム返しか、問いかけの答えなのかすぐに判断できるのに」
と、さも不満げに、唇を歪める。
春名は、フッと鼻を鳴らした。
確かに英語なら、日本語のように主語が消えたりはしない。主語が消えるのは、日本語の特徴である。
『君はおなかが空いた?』
『ぼくはおなかが空いた』
英語では、オウム返しでない限り、そういう問いかけと応えになる。日本人は、その主語がなくても、相手の表情や視線を読み取ることで、問いかけかどうかの区別をつける。便利で不便な区別である。
その入り口に立ち、春名は、隣をトコトコと歩く小さな男の子の手を放した。
「遊んでおいで」
と、彼の背を押し、隅にある椅子の一つに腰を下ろす。
「あの子ですか?」
春名の傍らへ来て、仁が訊いた。
「ああ」
まだ六、七歳の小さな男の子である。
その子供は、プレイ・ルームの中を歩き回って、玩具箱を覗いたり、本棚を眺めたりしている。
ハッ、とするほどに端麗な面立ちをした幼子だった。彼らの中には、そういう子供が多い。どこか神秘的で、幻想的で……。表情がない分、余計にそう映るのかも知れない。
「彼は三歳まで全く口を利かなかったそうだ」
春名は、その子供を目で追いながら、口を開いた。
「環境が変わったら、また喋らなくなるんじゃないですか?」
仁の心配はもっともだろう。
「長期戦は覚悟してるさ。朝診た時から表情は全くなく、目も合わない。まだ一言も喋ってもらってはいないよ」
「……」
「まだ、今日入院したばかりだ。急ぎはしないさ」
春名は軽く言葉を返し、プレイ・ルームを歩き回る幼子の姿を、静かに見つめた。
ここは、児童病棟の子供のための施設であり、他にも何人かの子供たちが本を読んだり、ゲームをしたり、絵を書いたり、切り取ったり、紙を千切ったり……と、さまざまな時間を過ごしている。
「前の病院ではどうだったんですか?」
春名の隣に腰を降ろして、仁が訊いた。
「ん……。そうだな。――読んでみるかい?」
ファイルの中から大判の封筒を抜き出し、春名は言った。まだすべてに目を通していないため、ファイリングせずに封筒ごとカルテに挟んであるのだ。
「ええ」
仁はその封筒を受け取り、中の書類を取り出した。
「神崎……葉、ですか?」
「ああ」
春名はうなずき、その子供の方へと視線を向けた。
子供――葉は、相変わらずプレイ・ルームの中を歩き回ってはいるが、何かを手に取って遊ぶ訳でもなく、のぞき込む玩具箱からも、何一つ持ち上げずに、キョロキョロとしている。
「あ。母親の記述も入ってますよ」
そう言って、仁がコピーされた用紙を取り出した。
「彼が初めて言葉を喋ったのは三歳で、母親が『おなかが空いた?』と問いかけると、『おなかが空いた』……って。これって、会話じゃなくて、単なる『オウム返し』じゃないんですか?」
と、眉を寄せる。
オウム返し――。
人の言った言葉を繰り返すだけのもので、会話ではない。
例えば、
『そろそろ片付けましょうね』
と、言うと、彼らは、
『そろそろ片付けましょうね』
と、応えるが、それは言葉を繰り返しているだけであって、今続けている行為をやめるわけではない。
ある子は、
『片付けます』
と、その子供にとっての一人称で言うと、
『片付けます』
と、言って、片付けを始める。
「そうでしょう、先生?」
「さあな。主語がないから何とも言えない」
「だから日本語は難しくて不便なんですよ。英語なら、これがオウム返しか、問いかけの答えなのかすぐに判断できるのに」
と、さも不満げに、唇を歪める。
春名は、フッと鼻を鳴らした。
確かに英語なら、日本語のように主語が消えたりはしない。主語が消えるのは、日本語の特徴である。
『君はおなかが空いた?』
『ぼくはおなかが空いた』
英語では、オウム返しでない限り、そういう問いかけと応えになる。日本人は、その主語がなくても、相手の表情や視線を読み取ることで、問いかけかどうかの区別をつける。便利で不便な区別である。
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