可不可 §ボーダーライン・シンドローム§ サイコサスペンス

竹比古

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Karte.4 児童精神医学の可不可-他人

児童精神医学の可不可-他人 1

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 USA――。
 男は一冊の本を片手に、英国ゴシック調の建物と、近代建築の混在する大学の構内を見渡していた。
 手に持つ本は、ここへ来る前に本屋で見つけたものである。その裏表紙には、著者の写真とプロフィールが載っている。少し冷たい雰囲気のする秀麗な東洋人――日本人青年医師の写真だった。
 精神分析学者サイコアナリストで、精神科医サイキアリスト……。確かに、あの時の男である。あの子供と一緒にいた、あの……。
 目の前に広がる敷地は、一八九〇年に創立された名門大学――。
 レイクショア・ドライブを下ったシカゴの南部。
 男はゆっくりと足を踏み出した……。




 選ばれてあることの恍惚と不安と、二つ我にあり……
                       ヴェルレエヌ




 5×1=5
 5×2=9
 5×3=13
 5×4=17
 5×5=21……

「んー……」
 春名はその数式を目の前に広げ、感心しながら、シゲシゲと眺めた。――と、いって、春名は数学の教師では、ない。
 怜悧な面貌と際立つ長身を備える精神科医サイキアリストであり、大学時代からUSAで知識と実績を積み上げて来た精神分析学者サイコアナリストでもある。まだ三四歳の若さにして、この総病院の精神科で、それなりの権限も与えられている。
 二年ほど前にUSAの研究室を出て日本へ戻り、この病院に籍を置いているのだが――。春名の実績なら、他の権威ある精神病院にも快く迎えられたであろうし、USAで開業しても成功していただろう。ここは取り立てて精神医学の分野に長けているという訳でもなく、これからもその分野を拡張するという話も聞かない総合病院で、いいところは、といえば、近代的で明るく、春名自身も個人の研究室、兼、診察室を持たせてもらえるほどに余裕を持ったスペースで造られていて、規則もそれほど厳しくない、ということであった。
「何ですか、それ?」
 その言葉は、たった今部屋に姿を見せた少年が口にしたものである。まだ十七、八歳で、その容姿に相応しい小さな輪郭も、瞳にかかるサラサラとした黒髪も、端麗な面をより瑞々しく際立てている。きれい、という形容が使える少年だった。色の薄い唇も、華奢なうなじも、しなやかな少年らしさを携えて、小鳥の囀りを聴くような、心地良さを感じさせる。
 彼は春名の秘書で、レン、といった。まだほんのあどけなさを留める少年だが、その有能さで大人に劣るところなど一つもない。
 今、彼が興味を向けているのは、春名の手元にある『あり得ない数式』である。
「仁くんならすぐに解るさ」
 と、春名は、その不可解な数式を、ひょい、と渡した。
 仁は、拗ねるようにしながら、春名の皮肉を見据え返す。そして、受け取った数式に視線を落とした。
「どうだ?」
 まだ、考える、というほどの時間も経っていないが、春名は訊いた。
 たった今、手渡したばかりである。それでも仁は悩みもせず――。彼に取っては優しすぎる問題、かも知れない。並ぶ数字を見ただけで、答えはすぐに引き出せる。
「面白いですね。これを作ったのは誰なんですか?」
 と、その数式のルールに、興味を示す。
「精神科の児童病棟の子だ」
 言いながら、春名はデスクの上の煙草を抜いた。
「かしこい子だろう?」
 と、銜えた煙草に火を点ける。
「ええ。彼らに取っての数字の利用法は興味がありますよ」
 仁は感心しながら灰皿を差し出し、再び手元の数式に視線を落とした。
 これは、彼ら特有の『省略』された数式なのだ。
「彼らには、言葉も数字も自分の意思を伝えるための手段じゃない。相手の理解を求める気もなければ、相手と関係を持つこともしない。だから、電話帳や住所録、辞書……そういった意味のない文字の羅列に興味を持つ。彼らには、生活の役に立つ立たないは関係ないのさ」
 春名はゆっくりと煙草の煙を吐き出した。


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参考文献
ナルシズム 中西信男著 講談社刊 自閉症 玉井収介著 講談社刊 異常の構造 木村敏著 講談社刊 心理テスト 岡堂 哲雄著 精神病理から見る現代思想 小林敏明著
感想 11

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